DESCRIPTION
エジーノ・クリーゲル
(1928,ブラジル南部サンタカタリーナ州~)
ソナチネ [1957]
現代ブラジル楽壇の長老格。1995年の日伯修好100周年記念音楽祭のために来日し、その時には彼の交響曲が初演され講演会も開かれた。前衛音楽に傾倒した時期もあったが、その後若い音楽家を育てるために、伝統的な手法に基づく作品も書いた。そのうちのーつで、2楽章からなる。
フランシスコ・ミニョーネ
(1897,サンパウロ~1986,リオ)
街角のワルツ第12番 [1943]
《街角のワルツ》はサンパウロの街角で流行していたセレナータをテーマにし、全曲異なった短調で書かれている。「ブラジルのワルツ王」と呼ばれるにふさわしいミニョーネの粋なセンスで、どれひとつ同じ雰囲気になることなく作曲されており、その最後を飾るグランド・ワルツである。
コンガーダ [1921]
彼のオペラ《ダイヤモンド商人》の踊りのー場面で、R.シュトラウス指揮のウィーン・フィルによって《コンガーダ》 と名づけられた。アフリカ・コンゴから連れてこられた黒人奴隷の踊りを表わしている。
エイトール・ヴィラ=ロボス
(1887,リオ~1959,リオ)
ショーロス第5番 “ブラジルの魂” [1925]
リオの民衆音楽<ショーロ>をヒントに、さまざまな楽器編成で書かれたこのシリーズには、母国への郷愁(サウダーヂ)が強く感じられる。副題“ブラジルの魂”は、ナザレに敬意を込めてつけられたものである。
《赤ちゃんの家族 第1集》より3曲~ [1918]
この曲集はドビュッシーの《子供の領分》によくたとえられる。ブラジルに住む人種の名前(肌の色で分類する)をつけられた人形も登場する。
1.《ブランキーニヤ》(陶器の人形)
陶器でできた白人の女の子の人形の世界。 《ブランキーニャ》 とは「ブランカ/白人」の語尾に<-inha>を付けたもので、日本で言う「~ちゃん」という言い方である。響きも愛らしくて、素敵な習慣である。
2.《モレニーニヤ》(紙の張りぼて人形)
“Morena (モレーナ)”は黒人と白人の混血の女の子のことで、その小麦色の肌はブラジルではー番美しい色で、美人の代名詞とされている。
3.《オ ポリシネーロ》(道化人形)
この曲集とヴィラ=ロボスの名前を世界に広めたピアニスト、ルービンシュタインはこの曲をアンコールで好んで演奏した。あやつり人形のピエロがブラジルの童謡(輪踊り歌) ” O Ciranda, O Cirandinha”を歌う。
シクロ・ブラジレイロ)より2曲~
(ブラジル風連作)
1.《セレナード歌いの印象》 [1936]
ヴィラ=ロボスが若い頃、夜のリオの街のセレナーデ奏者たち“セレステイラス”にギターを片手に参加した思い出が感傷的に歌われている。
2.《奥地の祭り》 [1937]
自分のことを「白人インディオ」と呼んでいたヴィラ=ロボスが、ブラジルの奥地へ音楽収集の旅に出かけた時の体験が基になっている。
エルネスト・ナザレ
(1863,リオ~1934,リオ)
オデオン[1910]
(タンゴ・ブラジレイロ)
知識人や上流階級の人々が出入りしたリオの「シネマ・オデオン」のロビーではナザレがピアノを弾き、24歳のヴィラ=ロボスもチェロを弾いていた。一度耳にすると誰もが弾いてみたくなるような彼の最高傑作である。
コンフィデンシャス(打ち明け) [1913]
(ワルツ)
ヴィラ=ロボスの《ブラジル風バッハ》にちなんで、ナザレの《ブラジル風ショパン》 と名づけたくなるような、甘く切ないワルツである。
ヴォセ ベンサービ[1877]
(ポルカ・ルンドウー)
ナザレの初の出版作品でもあり、若干14歳の時の処女作品でもある。この神童の父親に捧げられた曲名は「あなたは何でもよくご存知」。
ポロネーズ [1908、未出版]
ショパンの《英雄ポロネーズ》の模倣というより、ナザレが子供時代からショパンをどれほど敬愛していたかが伝わってくるような作品である。
ブレジェイロ(ろくでなし) [1893]
(タンゴ)
ナザレ最初のタンゴである。この曲で彼の人気は世界的に広まる。パリの共和制警備軍のバンドのレパートリーに加えられたほどである。
フォン・フォン[1912]
(タンゴ)
当時のリオの週刊誌” Fon-Fon”にちなんで作曲された。”フォン・フォン”という車のクラクションの音も、ナザレの手にかかると魔法のように音楽に溶け込んでしまう。
ドーラ [1900、未出版]
(ワルツ)
“ドーラ”とは彼が23歳の時に結婚した妻“Theodora” の短縮形である。女性の名前を曲名にした他の作品よりも、特別な深い愛が感じられる。
アレルタ [作曲年不明、1914初版]
(ポルカ)
手書きの楽譜には”軍隊ポロネーズ” と記されている。”Alerta! “とは「用心しろ!」という意味である。
ノクターン [1920、未出版]
「タンゴ・ブラジレイロ王」と呼ばれたナザレだが、晩年になって「クラシックの作曲家であること」をここで証明したかったのかもしれない。
ジーゴ[作曲年不明、1900初版]
(性格的なタンゴ)
素人劇団の有名女優に捧げられた。彼女のあだ名が”ジーゴ”であった。陽気で活発で、ちょっとコミカルな雰囲気の女優だったのだろうか。
ブラジルのクラシック音楽は約500年前にポルトガルの宣教師によってもたらされた。やがて、3種の民族の混合(ヨーロッパからの移民、奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人、原住民)によって生まれた大衆音楽が積極的に取り入れられ、ブラジル独自の音楽が生み出されていった。その第一人者と言えるのが 「ブラジルのショパン」または「ブラジルの魂」と呼ばれたナザレである。彼を尊敬し、ブラジルの音楽を確立し世界を驚かせたのが、 「ブラジルの大地」にたとえられるヴィラ=ロボス。この二人とは違い、正式な音楽教育を受けてヨーロッパでも研鎖を積んだミニョーネは、ブラジルの音楽をさらに洗練された「ブラジルの文化」に高めた。
一方、民族主義を超越した音楽を作ろうという流れも起こり、無調主義や十二音技法を用いるクリーゲルのような作曲家も現われた。しかし、ヴィラ=ロボスを 讃える作品も書いており、今までの流れを完全に否定するものとはいいきれない。 筆者はサンパウロに住んでいた子供時代、アルゼンチン系ブラジル人のピアノの先生に「日本人の作品を一緒に弾いてみましょう。」とごく自然に言われて驚いたが、日本やブラジルの作品を先生と楽しんで弾いた当時が懐かしく思い出される。 「相手の文化を認めて受け入れようとするところ、そしてブラジルを愛する者であれば人種は問わずブラジル人として受け入れるところ」がブラジル文化を 豊かにする源であるように思う。
そして、 「ナザレが好き!」という純粋な気持ちでブラジルに渡り、約8年間ブラジルの芸術音楽を研究し演奏してきた清水由香さんは、 「ブラジルが誇る真の芸術家“Pianista Brasileira”」としてこれからもずっと大切にされるだろう。
市村由布子
Yuko Ichimura
📀CDのライナーノーツから📀
ここ30年における、多くの日本人がブラジル音楽に抱いている愛情は私にとって大変感動的なものになってきている。我々ブラジルの芸術をより深く理解するためだけの目的で訪伯する日本人を受け入れることは、興味深いものである。傑出した例として清水由香があげられる。彼女はエルネスト・ナザレに魅せられ当国に来た若いピアニストである。
ブラジル音楽の誇りである、エルネスト・ジュリオ・デ・ナザレは1863年3月20日にリオデジャネイロ市で生まれ、1934年2月1日に同市で没した。作曲家、ピアニスト、伴奏者及びピアノの個人教授であったナザレは、クラブ、ダンスパーテイ―、洗礼式結婚式、音楽サロンや映画館で演奏したり、演奏旅行、レコード録音、ラジオ番組で作品を発表した。このようにして、その時代の人々が徐々に彼を知る機会を作り好評を得るようになっていった。1878年12月最初の音楽作品の発行から1932年2月の最後のリサイタルまで53年間の芸術活動であった。この50年は彼の音楽に対する純粋、誠実で、有益な献身の期間であった。
若き清水由香は、特にこのCDの録音により、この天才ブラジル人の作品を普及しようと努めてきている。世界的なピアニスト、ブライロヴスキー、ルービンシュタイン、ミヨー、シェリング、ミニョーネ、オルゾヴスキーやテランにより始められた伝統を有益な形で継続している。
今日、ブラジル作曲家の中でヴィラ・ロボスに次いで世界中でCDの録音を多くされているのは、エルネスト・ナザレの作品である。しかし、清水由香のCDが他のピアニストと異なるのは、この若きピアニストが偉大な作曲家の作品を専門に研究するだけの目的でブラジルを訪れ、アロイジオ デ・アレンカール・ピント、クララ・スベルナー、マリア・ジョゼフィーナ・ミニョーネ、ルイス・アントニオ・デ・アウメイダ等のナザレに関する権威者にも接したことによる。アロイジオ・デ・アレンカール・ピント(1911)はナザレ自身の演奏を何年間も聴いた高名なピアニストであった。クララ・スベルナーはナザレ作品の奏者であり、かつ清水由香の最初の師でもある。マリア・ジョゼフィーナ・ミニョーネ夫人は彼女の夫であり、ナザレの友人であったフランシスコ・ミニョーネ(1897/1986)と共にナザレの作品を忠実に演奏する秘法を得た。私、ルイス・アントニオ・デ・アウメイダは、幼少時からナザレの弟子や友人達さらに彼の子息でピアニストでもあるジニス・ナザレ(1888/1982)と親交を暖めた。
収録された曲目については、ナザレの有名作品の他に今まで録音されたことの無かった作品が含まれ、本CDを貴重な歴史的な記録とし、無比無類と言えるであろう。清水由香は単に感性の鋭い才能のあるピアニストだけでは無い。エルネスト・ナザレの埋れた傑作を公開する貢献者でもある。
清水由香は、我々すべて、ブラジル人からも日本人からも心からの感謝を受けるに足るピアニストである。すなわち、エルネスト・ナザレの音楽の普及への彼女の才能や愛情は、美や高貴さには境界が無いということを証明している。
ルイス・アントニオ・デ・アウメイダ
(エルネスト・ナザレの伝記作家)
O amor que muitos japoneses sentem pela música brasileira tem impressionado a mim muitíssimo, principalmente nesses últimos trinta anos. E é curioso o fato de recebermos aqui no Brasil pessoas vindas do Japão só para conhecer melhor a nossa arte. E um grande exemplo disso é Yuka Shimizu, jovem pianista que desembarcou em nosso país apaixonada por Ernesto Nazareth.
Glória da música brasileira, Ernesto Júlio de Nazareth nasceu no Rio de Janeiro aos 20 de março de 1863, e na mesma cidade faleceu em 1º de fevereiro de 1934. Compositor, pianista, acompanhador e professor particular de piano, Nazareth tocou em clubes, bailes, batizados e casamentos, trabalhou em casas de música e cinemas, excursionou, gravou discos, apresentou-se em programas de rádio; alcançando, desse modo, uma popularidade que poucos de sua geração tiveram a oportunidade de conhecer. Foram 53 anos de atividades artísticas, desde a edição da primeira música, em dezembro de 1878, até o último recital, em fevereiro de 1932. Portanto, cinco décadas de pura, sincera e proveitosa devoção à música!
E a jovem Yuka Shimizu, principalmente agora com a gravação deste CD, tem procurado divulgar ainda mais a obra do genial brasileiro; continuando, assim, e de forma muito mais proveitosa, uma tradição iniciada por grandes mestres do piano universal, tais como Brailowski, Rubinstein, Milhaud, Schelling, Mignone, Horszowski e Terán.
Hoje em dia, entre os autores brasileiros, é de Ernesto Nazareth a obra que vem recebendo mais gravações em CDs, em todo mundo, depois de Villa-Lobos. Mas o que torna o CD de Yuka Shimizu diferente dos outros se deve, principalmente, ao fato de a jovem pianista ter vindo ao Brasil só para se especializar na obra do grande mestre, aproximando-se, inclusive, de algumas das maiores autoridades nessa área, tais como Aloysio de Alencar Pinto (1911), ilustre pianista que durante anos ouviu o próprio Nazareth tocar, Clara Sverner, intérprete de Nazareth e primeira orientadora de Yuka, Maria Josephina Mignone, que conheceu os mistérios de se interpretar fielmente Nazareth com seu esposo, Francisco Mignone (1897/1986), amigo de Nazareth, e Luiz Antonio de Almeida (1962), que conviveu, desde criança, com discípulos, amigos e o próprio filho do compositor, o também pianista Diniz Nazareth (1888/1982).
Quanto ao repertório não podia ter sido melhor, pois além dos grandes sucessos de Nazareth encontramos, ainda, obras que jamais foram gravadas, tornando este CD precioso documento histórico. Yuka Shimizu não é só uma sensível e inteligente intérprete, mas a responsável por tornar público alguns dos maiores tesouros do repertório de Ernesto Nazareth.
Yuka Shimizu merece de todos nós, tanto brasileiros quanto japoneses, os mais sinceros agradecimentos, pois seu talento e amor na divulgação da música de Ernesto Nazareth provam que não existem fronteiras quando o assunto diz respeito ao que há de mais belo e nobre.
Luiz Antonio de Almeida
(Biógrafo de Ernesto Nazareth)
🎧清水由香さんのCDのご紹介
Yuka Shimizu: (2006)
Ernest Nazareth Embalada Pela Brisa do Rio