日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

2019.11.28 アントニオ・メネセスとチェロの名手たち

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チェロの巨匠と日本チェロ界のトップ奏者たちによる華麗なるアンサンブル
アントニオ・メネセスとチェロの名手たち
2019年11月28日㈭ 19時開演
紀尾井ホール

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アントニオ・メネセスとチェロの名手たち


ヴィラ=ロボスからのチェロとバッハへの賛辞

市村由布子

「私の作品は返事を期待せずに書いた、後世の人々への手紙である」

これはエイトール・ヴィラ=ロボス(1887-1959)の有名な言葉であり、彼の墓碑にも刻まれている。1000曲近くもの作品を書いたとされる多作家で、「ブラジルの地図は私の和声の教科書だった」という口癖の通り、彼の音楽はブラジルの大地から生まれたもので、ダイナミックかつ独創的である。彼は<ブラジルのクラシック音楽界の巨匠>と称されている。

学者でアマチュアの音楽家でもあったヴィラ=ロボスの父は、息子の音楽の才能を早くから見抜き、当時6歳の彼にチェロに教えてクラシック音楽の手ほどきをした。彼の人生の上でも作曲をする上でも、チェロは特別な楽器となっていく。

ヴィラ=ロボスは10歳にもならない頃、ピアニストである叔母が弾くヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)の《平均律クラヴィーア曲集》に心を奪われた。ほぼ独学で創作活動を続けた彼は「対位法というものを、バッハとショーロ(即興演奏を楽しむブラジルの大衆音楽)の仲間たちから学んだ」と語り、「バロック音楽とブラジルのポピュラー音楽には共通する部分がある」と信じていたという。

日本での通称《ブラジル風バッハ》は、1930年(43歳)から15年かけて9曲書かれた。1920年代のパリ滞在中には、連作《ショーロス》のような民族色豊かな作品を多く書いた彼だが、帰国後は彼にとって最も偉大な“バッハ”への想いとブラジルの音楽を結び付け、自分にしか書けない“祖国の音楽”を表現しようと試みる。《第9番》を除く各曲の楽章に“バッハ風”と“ブラジル風”の2つの副題がつけられており、<バッハ風のブラジル楽曲集>を意味する。

今年2019年はヴィラ=ロボス没後60周年に当たる。《ブラジル風バッハ》第1番と第5番の人気は日本でも根強く、各地で演奏され続けている。 現代のチェロの巨匠、アントニオ・メネセス氏の母国であるブラジルの作曲家“ヴィラ=ロボス”と“バッハ”を組み合わせるという当公演はメネセス氏と愛弟子・中木健二氏による企画で、日本では大変珍しいプログラムである。“メネセス氏の弟子~同級生~同窓生”というつながりの中で集まった“ブラジルと日本”のチェロ界トップ奏者たちによる本日の《ブラジル風バッハ》は、メモリアルイヤーに相応しい饗宴となるであろう。


曲目解説

市村由布子

J.S.バッハ:チェロ・ソナタ第3番ト短調
BWV1029

本日チェロとピアノで演奏される《第3番》は、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのために書かれた3曲のうちのひとつで、1720年頃に成立したと推測されている。“ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの右手”という上声2部の独奏パートと、“チェンバロの左手”という低音旋律パートからなっており、2つの楽器による“トリオ・ソナタ”ともいえる形である。バッハの室内楽作品は無伴奏のものやチェンバロの独奏を除くと案外数が少なく、重要なレパートリーとなっている。

ヴィラ=ロボス:チェロ・ソナタ第2番Op.66

1913年に結婚した最初の妻がピアニストだったことも影響し、20代後半の作品にはチェロとピアノのために書かれた小品が多い。《第1番》のスコアが紛失したため、唯一現存するチェロ・ソナタとなるが、“ソナタ”というよりも4つの楽章をもつ“組曲”に近い。彼はお気に入りのテーマをアレンジして繰り返し引用することが多く、1916年に作曲されたこの《第2番》の第1楽章の冒頭のテーマは、その22年後に誕生した《ブラジル風バッハ第1番》(本公演の3曲目)の第1楽章のオープニングテーマとして、さらに印象的な形で引用されている。

ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第1番

ユニークな楽器編成と楽曲構成で書かれているこの連作の最初の曲として、チェロによる合奏(チェロ8、12または16本)が選ばれている。ヴィラ=ロボスはこの演奏スタイルを “チェロ・オーケストラ”と称し、自ら何度も指揮をした。ベルリン・フィルの12人のチェリストたちによる演奏が有名になり、指揮者なしで演奏されることも多く、本日もその形をとる。ヴィラ=ロボスと親交の深かったチェロの巨匠パブロ・カザルスに献呈されている。

Ⅰ. 序奏/エンボラーダ [1938] “エンボラーダ”は“パンデイロ(タンバリン)を叩くリズムに合わせながら、即興詩を早口で歌って対決するもの”で、ブラジル北東部で生まれた民謡のひとつ。

Ⅱ. プレリュード/モジーニャ [1930] “モジーニャ”は18世紀後半に名付けられたブラジルのポピュラー歌曲の最初の形式で、甘美で叙情的な流行歌。

Ⅲ. フーガ/コンヴェルサ[1930] “コンヴェルサ”は“会話”という意味。ここでは“ショーロ”の演奏者4人が互いに音による対話を重ねながら自然にフーガを織りなしている情景を表している。

J.S.バッハ/ヴィラ=ロボス:
プレリュード 第22番 BWV867
(平均律クラヴィーア曲集第1巻第22番
変ロ短調より)

フーガ第5番BWV874
(平均律クラヴィーア曲集第2巻第5番
ニ長調より)

ヴィラ=ロボスはJ.S.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の中から数曲を選んで、1931年にまずはア・カペラ合唱用に、1941年にはチェロ・オーケストラ用にも編曲した。チェロの響きに合うように必要に応じて移調されており、1曲目のプレリュードは原曲とは異なるト短調で書かれている。なお、1958年にヴィラ=ロボス本人の指揮でニューヨークのチェロ協会が《ブラジル風バッハ》第1番と第5番とバッハの《平均律》を編曲した作品を演奏した記録があるが、本日の公演の組み合わせと同じであることを思うと感慨深い。

ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第5番

《第5番》はソプラノ独唱と《第1番》でも使われたチェロ合奏という珍しい形をとる。ギターと独唱の編曲は“アリア”のみ、ピアノと独唱の編曲は両曲共にある。

Ⅰ. アリア/カンティレーナ[1938] ソプラノのヴォカリーズ(母音歌唱)による美しいメロディをもつこの“アリア”は、2012年のロンドン・オリンピックの閉会式のリオ・デ・ジャネイロのパートで、海の女神の姿をした歌手によって歌われた。ヴィラ=ロボスの作品の中で最も有名で、彼のシンボルとして世界中で親しまれている。

Ⅱ. 踊り/マルテロ [1945] “マルテロ”は“金槌”のことで、カポエイラ(ブラジルの奴隷達が練習していた格闘技と音楽とダンスの要素が合わさったもの)の踊りの一種“上段蹴り”を指す。作曲家によれば「ブラジルのエンボラーダ風で、多くのモティーフが奥地に住む野鳥の声にヒントを得ている」という。


歌詞対訳

ブラジル風バッハ第5番
Bachianas Brasileiras No.5

Ⅰ. アリア/カンティレーナ (1938)
Ária/Cantilena
詩:ルーチ・コレーア Ruth V.Corrêa
訳:濱田滋郎訳

夕ぐれ、美しく夢みる空間に
透きとおったバラ色の雲がゆったりと浮く!
無限の中に月がやさしく夕ぐれを飾る
夢みがちに綺麗な化粧をする
情のふかい乙女のように。
美しくなりたいと心から希いながら
空と大地へありとあらゆる自然が叫ぶ!
その哀しい愁訴に鳥たちの群も黙り
海はその富のすべてを映す
優しい月の光はいま目覚めさす
笑いそして泣く、胸かきむしる郷愁を
夕ぐれ、美しく夢みる空間に
透きとおったバラ色の雲がゆったりと浮く!

Ⅰ. Ária/Cantilena (1938)
Texto de Ruth V.Corrêa

Tarde, uma nuvem rósea lenta e transparente,
Sobre o espaço sonhadora e bela!
Surge no infinito a lua docemente,
Enfeitando a tarde, qual meiga donzela
Que se apresta e alinda sonhadoramente,
Em anseios d’alma para ficar bela,
Grita ao céu e a terra, toda a Natureza!
Cala a passarada aos seus tristes queixumes,
E reflete o mar toda a sua riquesa…
Suave a luz da lua desperta agora,
A cruel saudade que ri e chora!
Tarde, uma nuvem rósea lenta e transparente,
Sobre o espaço sonhadora e bela!

Ⅱ.踊り/マルテロ (1945)
Dança/Martelo
詩:マヌエル・バンデイラ Manuel Bandeira
訳:濱田滋郎

イレレ、カリリの山里の小鳥よ
イレレ、わたしの道づれよ、どこかで彼女をみなかったか
わたしのいい人はどこに、マリアはどこに?
ああ、ギターつまびく歌うたいの悲しいさだめ!
ああ、その愛をうたっていたギターもなくして!
ああ、その口笛はお前イレレの笛とそっくり
お前の山里の笛が鳴るとき
ああ、人びとは失くした恋に悩むのだ
ああ、お前の歌があちら森の奥からきこえてくる
ああ、心をなぶり和らげる微風のように! ああ!
イレレ、お前の歌を放て、もっと、もっと歌え!
カリリの里を思い出させよ!
歌え カンバシラ! 歌え ジュリティ! 歌え イレレ!
歌え、なやみを。パタティヴァ! ベンテヴィ!
目ざめよ マリア、夜は明けた
みんな一斉に歌うのだ
山里の小鳥たちよ
ベンテヴィ! サビア!
ラ、リア、リア、リア、リア、リア!
森の歌い手サビアよ!
リア、リア、リア、リア!
ラ、リア、リア、リア、リア、リア、!
森の哀しいサビアよ!
お前の歌が森の奥からとどいてくる
心をなぶり和らげる微風のように……

Ⅱ.Dança/Martelo (1945)
Texto de Manuel Bandeira

Irerê, meu passarinho do Sertão do Cariri,
Irerê, meu companheiro, cadê vióla?
Cadê meu bem? Cadê Maria?
Ai triste sorte a do violeiro cantadô!
Ah!Sem a viola em que cantava o seu amô,
Ah!Seu assobio é tua flauta de Irerê:
Que tua flauta do Sertão quando assobia,
Ah!A gente sofre sem querê!
Ah!Teu canto chega lá do fundo do sertão,
Ah!Como ũa brisa amolecendo o coração, ah!ah!
Irerê, solta teu canto, canta mais, canta mais!
Pra alembrá o Cariri!
Canta, cambaxirra!Canta, juriti!Canta Irerê!
Canta, canta sofrê. Patativa!Bem-te-vi!
Maria acorda que é dia.
Cantem todos vocês,
Passarinhos do sertão!
Bem-te-vi!Eh!Sabiá!
Lá!liá!liá!liá!liá!liá!
Eh!Sabiá da mata cantadô!
Liá!liá!liá!liá!

Lá!liá!liá!liá!liá!liá!
Eh!Sabiá da mata sofredô!
O vosso canto vem do fundo do sertão
Como uma brisa amolecendo o coração.

🎧アントニオ・メネセスのCD紹介
”Villa-Lobos L’oeuvre pour violoncelle et piano”(2002)
Cristina Ortiz(piano),
Antonio Meneses(violoncelo)