村方千之氏からの手紙④
村方千之氏がプログラムノートに執筆した文章を抜粋し、「村方千之からの手紙」というシリーズでご紹介しております。
ヴィラ=ロボスの作品を聴く特別コンサート<第2回>
“室内楽と合唱の夕べ”
1980[昭和55]年11月18日、日比谷公会堂
主催:ブラジル大使館
後援:ブラジル銀行、サンパウロ州立銀行、ロイドブラジレイロ極東代表部、ブラジル国立製鉄会社、フロッタライン、ブラジルコーヒー院、
ウジミナス製鉄東京事務所、ヴァリグ・ブラジル航空
【チラシ】の内容から
ヴィラ=ロボスの新たな発見!
19世紀末から20世紀にかけて大きく変貌をとげた音楽史の流れの中に代表的な作曲家を挙げるならば、バルトーク、ストラビンスキー、プロコフィエフ、ミヨー、オネゲルなどがいるが、H.ヴィラ=ロボスもまたこの時代を生きた異色の偉大な作曲家の一人なのである。
彼は1887年にリオ・デ・ジャネイロに生れ1959年同地に歿するまでの72年の生涯に、その超人的で豊饒な創造力によって交響曲、協奏曲、オペラなどの大曲から、歌曲やピアノ、ギターなどの小品に至るまでのあらゆるジャンルに筆を染め、残した作品の数は1300曲以上ともいわれている。
ブラジルの伝統ある名家に生まれ、音楽好きの熱心な父親にチェロをはじめクラリネット、ギターなどの手ほどきを受け子供のころから優れた才能を示し、一方ピアニストであった叔母の影響をうけて終生バッハを深く敬愛したという。
11才の時父を失い、ギターひとつを抱えて家を出、町の放浪劇団に入り、この間に楽器や作曲に関する多くの知識を得、敬愛するバッハをはじめ好きな作曲家たちの作品を熟読、研究することで、独学で作曲法を学び、18才でブラジルの奥地に入り民族音楽の研究に着手、多くの民謡に接し厖大な量の蒐集を行った。また、たまたまブラジルで出会ったフランスのミヨーと知りあい、近代フランス楽派に強い関心を抱き、4年間パリに遊学、自作を発表して認められ、さらに広くヨーロッパやアメリカ各地を回って特異な天才振りを発揮しユニークな存在となった。
一方、16世紀にポルトガル人によってブラジルにもたらされたヨーロッパの伝統音楽に、さらにブラジル独自の音楽言語を確立し、20世紀のこの国の芸術音楽を世界的なレベルにまで啓蒙向上させたことも、祖国への彼の偉大な業績の一つである。
ヴィラ=ロボスの音楽の素材となっているものはブラジルの民族音楽であり、その精神的な基盤となっているものはバッハの音楽的精神だと自らがのべている。
彼の音楽のもっとも大きな魅力は、詩情あふれる野性的なヴィラ=ロボスならではの独特の個性にあるが、ときにエキゾチックで奇妙に響く調べのなかに烈しいブラジルの魂の躍動が伝わってくるのである。
作品の中に現われるバイタリティーに溢れた自由奔放さは、ときに構成的な弱点をしばしば示すことがあるが、ヴィラ=ロボスの音楽が聴き手を魅了するのは、そのスケールと大きさ、純粋さ、気迫、彼独自の新鮮なインスピレーションのすばらしさであろう。
ヴィラ=ロボスの音楽は何時聴いても、何か新しい発見をもたらす不思議な魅力を持っていると、かつてピアノの巨匠ルビンシュタインは言っている。
この特別なコンサートは
昨年の暮れに行われた「ヴィラ=ロボス歿後20年記念特別コンサート」に続くもので、今後向う7年間、つまり1987年の「ヴィラ=ロボス生誕100年祭」の年に向けて、毎年秋のシーズンに定例の形で続けられる予定である。この間、彼の多岐に亘る作品の中から各分野の代表的なものが選ばれて毎回紹介されることになっている。
この行事はブラジル政府が文化交流の一つとして特に力を入れ、企画しているもので、これを機会に日本の音楽ファンの間にヴィラ=ロボスの音楽がより広く知られるように、加えてブラジルの伝統的な芸術音楽にも興味と理解の目が向けられることを期待されているのである。日本とブラジルの高いレベルの文化交流が芽生え、深く根付き発展することを切に願いたい。
村方 千之(指揮者)
【プログラムノート】の内容から
ヴィラ=ロボスについて
コンサートによせて
いまから5年前、私がヴィラ=ロボスの音楽祭に参加したころ、日本で出されていたヴィラ=ロボスのレコードは僅か5、6枚であったように記憶していますが、5年後の今年に入って彼のレコードについて調べてみたところ、約80枚ものレコードが出されていることを知りました。
日本でのヴィラ=ロボスへの認識は、まだまだかなり低いものがあると思うのですが、しかし、この5年の間にこのように多くのレコードが出される様になった事実はやはり彼に対する関心が一般にそれだけ高くなってきていることを示している良い例だと思います。
ヴィラ=ロボスは19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍した多くの作曲家たちの中では、かなり特異な存在として見られています。と言いますのは、ヨーロッパとは遠く離れた南米ブラジルにあって、当時大きく変貌をとげたヨーロッパの音楽史の流れとは直接のかかわりをもたずに、全く独自の音楽的世界を確立した作曲家だからなのです。
ヴィラ=ロボスは殆ど独学で作曲法を身につけ、ピアニストであった叔母とアマチュア音楽家であった父から受け継いだヨーロッパの正統な伝統音楽の高度な感覚の上に、12才のときから加わったという町の放浪楽団での様々な体験、18歳になってからのブラジル奥地でのインディオの音楽の蒐集活動など、かなりの曲折に富んだ特異な成長の過程を通して、作曲家としての自分の信念や主張が築かれたのです。
彼はブラジル土着の民俗音楽や庶民の間に生まれた生活の音楽に深い愛着をもち、これに少年の頃から敬愛したバッハ及びここにはじまるヨーロッパの伝統的な音楽の精神を結びつけ、自分でなくては作れない独創的な音楽の創造に生涯をかけて試みたのでした。
彼の音楽はどの分野の作品を取っても全く独自性に溢れていて、何かの系列に属するという部分はなく、すべてが良くも悪くもヴィラ=ロボスの独創的な世界に貫かれています。
彼は一つの曲を時間をかけて繰り返し推敲し、丁寧に仕上げていくといったタイプの作曲家ではなく、頭にひらめいたものを情熱にまかせて楽譜に書いていくといった感覚的で行動的な人だったことが、その作品の中からもうかがえますが、彼のそうした自由奔放な創作態度は、ときに作品に構成的な弱点となって現われ、演奏者の頭を悩ますこともあります。しかし一方、作品を支配しているスケールの大きさや、躍動的な気迫、赤裸裸で純粋な情感は、作品の弱点を乗り越えて演奏するものの情感をそそり、聴く人々を魅了するのです。
さて、私はこの5年の間に、機会あるごとに数回に亘ってヴィラ=ロボスの作品を演奏し紹介して参りましたが、彼の1300余という膨大な作品からすればほんの一部に過ぎず、彼の真の魅力について日本のファンの間に充分に伝え広めることができないでいるのは大変残念なことなのです。
ブラジル出身の世界的な音楽家達はヴィラ=ロボスを誇りとしてすすんで演奏する機会をもつ様です。日本にも度々来日したことのあるブラジル出身の世界的名ピアニスト、ネルソン・フレイレやモレイラ・リマはアンコールによくヴィラ=ロボスの作品を紹介し、聴衆に感動を与えてくれますが、昨年行われたベルリンフィル12人のチェロ奏者達のコンサートでもヴィラ=ロボスの《ブラジル風バッハ》の1番が演奏され、深い感動を日本の聴衆に与えてくれました。
ヴィラ=ロボスの音楽は何時聴いても、その都度何か新たな発見があり、不思議な魅力を与える、といったピアノの巨匠ルビンシュタインの言葉にあるように、彼の独自の音楽的世界はどんなに時代をへても、その魅力が失われることはないと私は強く信じているのです。
ヴィラ=ロボスの生誕100年祭に向けてのこの連続コンサートが意義を失うことなく、立派に成果を上げていけることを心から願ってやみません。
村方 千之(指揮者)
曲目解説
ヴィラ=ロボスは、1920年から28年までの間に14曲のショーロスを書いている。この14曲の編成はギターの独奏から大オーケストラと合唱によるものまで様々で、この一連の作品は彼の最も代表的なものとしてよく知られている。
この《ショーロス第2番》は1924年にパリでフルートとクラリネットの二重奏曲として書かれ、ショーロスの中でも、最も完成度の高い内容をもった作品であり、技術的にも高度である。
ショーロスについて一口で書くことはむづかしいが、まるでうぶな娘がシクシク泣くようにもとれるということで、つまりChoro(泣く)というのが語源である。もともとはデリケートで可憐な曲で、新内の「流し」を軽快な踊りの調子に直したような感じとでも言えようか。
1880年ごろからリオの下町に住む音楽愛好家達の間で休日の手なぐさみにカヴァキーニョを中心にギターで低音を、フルートで旋律をつけ、自由に掛合をして庶民のささやかな喜びを音に托して、カリオカの哀愁を唄い上げたものである。即興性が特徴となり、やがてプロも生れて編成も大きくなりブラジルの代表的な庶民の音楽の一つとなったものである。ヴィラ=ロボスはこの音楽の特徴を生かして芸術的なものにまで発展させたのが、一連の《ショーロス》である。
《ファンタズィア・コンセルタンテ》は1953年彼が66才のとき、パリで書かれたものである。すでに晩年の円熟期に入った時期の作品で、クラリネット・ファゴット・ピアノの三重奏として書かれ、管楽器の室内楽曲の中でも内容的にかなり充実した、円熟期に相応しいものが感じられる作品である。ここでもブラジル的なメロディーや独特なリズムが複雑に交錯して、ヴィラ=ロボス独特の音楽の世界が創り出されている。とくにクラリネットとファゴットの性能が効果的に活かされていて、技術的には高度なものが要求されている。
《ショーロスの形式による木管五重奏曲》は、1928年のパリ滞在5年目に書いたもので、36才から43才までのヴィラ=ロボスのパリ滞在は、作曲家として最も脂ののりきった時であり、彼の人間としての内面が成熟し、ヨーロッパでの新しい刺激によってさらに磨きがかけられ、本来の野性的な面と洗練されたものが兼ね合って、みごとな均衡を保っていた時期である。
この作品はそうした彼の好調な状態を反映して、管楽室内楽曲の中でも最も安定した、しかも活力に溢れた内容の作品となっている。
《ショーロス》のもっている即興的な要素を5つの楽器の特性にゆだねて、かなり自由な形式で曲が進行していく。いわゆるヨーロッパ的な洗練されたロマンと、ブラジルへのノスタルジアが見事に交錯して表現されている。これは帰国の直前1930年3月にパリで初演され、絶賛を博した。
この《ベンジッタ・サベドリア》は1958年に旅行中のパリで書き上げられ、同年12月にワシントンで初演されている。ニューヨーク大学のC.S.スミス教授からの依頼で同大学のために書かれたもので、これにより名誉博士号を授けられている。
この曲は旧約聖書箴言の中から言葉が選ばれて歌詞がつけられており、知識を讃えた内容のもので、6つの部分に分かれている。合唱のために作品としてはこの曲が最後の作品となり、彼は翌年の59年にリオで没した。
<第1曲> 知恵、外に呼わり、巷(ちまた)にその声をあげる。
<第2曲> 貴き器(うつわ)は知識の器なり。
<第3曲> 知恵は第一なるものなり、知識を得よ。
<第4曲> 知識あるものは強し。
<第5曲> 知識を求め得る人、および、さとりを得る人は幸いなり、
そは智を得るは銀を得るにまさり、その利は精金よりも善ければなり。
<第6曲> 汝の右手にこのことを知らしめよ、そして汝の心を知識によって育め。
なお、この曲は先年日本合唱指導協会の“知られざる名曲をたずねて”のコンサートで初演されている。
《ブラジル風バッハ》はヴィラ=ロボスの作品の中で《ショーロス》と並んで、最も代表的な作品であり、1930年から45年の間に9曲が書かれている。
少年のころから終生、彼はバッハを深く敬愛し、その作品の精神をブラジルの魂と結びつけようと試みたが、そこから生れたのがこの一連の《ブラジル風バッハ》なのである。特に8台のチェロのための《第1番》、同じく8台のチェロとソプラノ独奏のための《第5番》、フルートとバスーンのための《第6番》、管弦楽のための《第2番》、《第4番》、それにこの《第9番》は有名である。
《第9番》は、一般に弦楽合奏の曲として知られ、演奏されているが、実は最初に彼は“声によるオーケストラ”つまりヴォカリーズのための合唱曲として書いたのである。今回は特にその最初の形で演奏してみるのだが、演奏が大変むずかしいためにブラジルに於いても、ヨーロッパやアメリカなどでもあまり演奏されることがない。
《ノネット》は、ヴィラ=ロボスの作品の中でも、もっとも魅力的な作品で、バイタリティーとファンタズィーに富んでおり、この曲に使われているブラジルの典型的な打楽器のいくつかは、ブラジルの雰囲気を伝えるのに大きな効果を発揮している。
1923年にパリで完成、初演され大きな反響を呼んだ。フルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、アルトサックス、チェレスタ、ハープ、ピアノ、打楽器の9重奏に混声合唱を加えた珍しい編成で、この曲の副題に“全ブラジルの印象を簡潔に一まとめにしたもの”と書かれているが、ブラジル的な様々な要素がメロディー、リズム、響きの中に見事に濃縮されている。古い伝統的な作曲の手法によらず1920年代にヨーロッパで流行した当時としては新しい手法が用いられており、60年近く前の曲でありながら、現在でも聴き手にエモーショナルな衝動と刺激を強く与えてくれるものがある。
村方 千之(指揮者)
管楽器(木管楽器)のための作品について
※作品表は後日追記予定
ヴィラ=ロボスの室内楽の作品は、全部で50曲近く書かれているが、その中で木管楽器のみで編成されているものはここに挙げた13曲である。この他に弦楽器と管楽器とを組み合わせたものが2曲あるから、合計15曲が木管楽器の室内楽曲として残されている。その殆どがフランスのMax Eschig社から出版されており、いつでも入手できる。
彼の室内楽作品は作品全体からみて比較的に佳作が多く、ヨーロッパやアメリカではしばしば演奏されている。とくに2曲以外は30代から40代にかけてのパリ時代を中心に書かれたもので、内容も意欲的であり、技術的にもかなり高度なものが多いのも特徴的である。
合唱のための作品について
※作品表は後日追記予定
ヴィラ=ロボスの合唱のための作品は一般の合唱曲、宗教曲、編曲ものなど合計すると約300曲という多数にのぼり、その総てをここで紹介することは出来ないので、ごく一部の代表的なものを選んで16曲を掲げるにとどめた。
ここに掲げたものは、わが国で取り上げても充分に理解し通用し得る範囲を想定して選んだもので、ブラジル国外で出版されているものを主としている。
このミサ曲《聖セバスチャン》は、わが国でもすでに歌われているものである。宗教曲以外は殆どブラジルのインディオの民謡などが取り入れてあったり、伴奏に民族的な特殊な打楽器を使ったりして特徴的なものが多い。
この他に、合唱と管弦楽との組み合わせによる交響的な大規模な作品がかなり書かれているが、これは次の機会に紹介したいと思う。
村方 千之(指揮者)
◆このプログラムノートには、次の皆様からの寄稿文も掲載されております。
・アルミンダ・ヴィラ=ロボス夫人
・濱田滋郎氏(評論家)「ヴィラ=ロボスの魅力」,「ヴィラ=ロボス作品のレコード一覧」
・山畑 馨氏(武蔵野音大ファゴット講師)「拝啓 ヴィラ=ロボス様」
・高場将美氏(評論家)「ヴィラ=ロボスとギター」
・清岡卓人氏(詩人)「ヴィラ=ロボスへの親愛」
・渡辺範彦氏(ギタリスト)「ヴィラ=ロボスとギター音楽」
編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA