村方千之氏からの手紙㉓(1996.9.29)
村方千之氏がプログラムノートに執筆した文章を抜粋し、「村方千之氏からの手紙」というシリーズでご紹介しております。
クララ・スベルナー ピアノリサイタル
1996[平成8]年9月29日、自由学園明日館講堂
主催:日本ヴィラ=ロボス協会
協賛:J.C.E.OVERSEAS CO.LTD
後援:ブラジル大使館、日本ブラジル中央協会
【プログラムノートから】
ピアニスト、クララ・スベルナーの来日に寄せて
ピアニスト、クララ・スベルナーはサンパウロで、ポーランド系の実業家の家系に生まれ、4才の頃からJose Kliassのもとでピアノを習い始め、7才でコンサートに出演。やがてジュネーブの音楽学校に留学しLouis Hildebrandに師事、音楽面やテクニックの上に磨きが掛けられ、ここで金メダルを獲得した。更に技術向上を目指してニューヨークに渡り、Mannes音楽大学でLeonard Shureのもとで精進を重ね、ピアニストとしての実力を完成させた。
その後、ウィルヘルム・バックハウス国際コンクールに於いて賞を獲得し、70年代にはヨーロッパ各地でリサイタルを行い高い評価を得、80年代に入りイスラエル・フィルハーモニーと共演、アメリカ合衆国からさらに日本にまで活動の足を延ばした。83年の来日のおりには、平井丈一朗(チェロ)とデュオのコンサートを行った。
彼女は、古い時代のイギリスのヴァージナルの音楽や、スペインの鍵盤楽器の音楽から、古典、ロマン派、近、現代、そしてエリック・サティ、スコット・ジョブリンなどの音楽に至る、幅広い分野のピアノ音楽にレパートリーをもっている。とくにブラジルの現代作曲家マルロス・ノブレやジルベルト・メンデスの作品の紹介にも専心。海外の現代音楽のジャンルにも興味と活動の場を広げている。
一方、今世紀の初頭に活躍し、新しい音楽の改革者としてその名を残し、惜しくも30才で早逝したGlauco Velasquesの作品を取り上げ、忘れられていたこの作曲家の名誉回復にも、大きな功績を残した。
彼女のもう一つの顔、それはクラシック音楽とポピュラー音楽の間に介在する区分を越えて、本来のブラジル的な音楽の在り方に、新たな共生の道を探求した事である。ブラジルのポピュラーサクソフォーン奏者として有名なPaulo Mouraと組んでの二重奏は、コンサートそのCD共に、幅広い層のファンの支持を得、また彼女とピアニストのジョアン・カルロス・アッシス・ブラジルとのピアノ二重奏もまたそのユニークさが高い評価を得てきた。これらの幅広い活動を通して行ったレコーディングは、数々の賞を得ている。
今回の彼女の来日は、最近ようやくファン層が広がりつつあるブラジルをはじめとする中南米クラシック音楽への関心を、更に高めるきっかけとなるとすれば、大変喜ばしいことである。
日本ヴィラ=ロボス協会
会長 村方千之
作曲者と曲目について
村方 千之
E.ナザレ Ernesto Nazareth(1863~1934)
エルネスト・ナザレ(1863~1934)は今世紀初め頃に、リオ・デ・ジャネイロで活躍したピアニスト兼作曲家で、“ブラジルのショパン”などとも呼ばれた。当時映画館は中、上流階級の人々の娯楽の場所として栄え、そのロビーは音楽サロンとして人々の社交の場所でもあり、ナザレはそこに集まってくる客達のためにピアノを弾いていたのである。ヴィラ=ロボスや、当時外交官として在留中のフランスの作曲家ダリウス・ミヨーも、ナザレのブラジル的な妙味溢れるピアノの自作自演の素晴らしさを称賛している。
ナザレはリオ・デ・ジャネイロに生れ育ち、幼い頃に母親にピアノの手ほどきを受け、後にフランス人L.ランベールについてピアノと作曲を学んだ。14歳の時に父親に捧げた処女作のポルカが出版されるや、一躍世間の注目を浴びた。23才で結婚し銀行に勤めたが、やがて作曲やピアノ演奏で生計を立てるようになり、リサイタルで新作を発表したりした。50才になった頃から、リオの有名な映画館オデオンの音楽サロンで弾くようになり、当初ベートーヴェンやショパンなどを弾いていたが、やがて自作のポルカやワルツ、タンゴなどを披露し人々を楽しませるようになった。下町の音楽であったショーロをクラシック風にアレンジして、上流社会の人々にも親しめる様にしたのは彼である。また、自分の演奏は聴くためのもので、踊るためのものではないという信念を持ち、自作が単に即興的なものではないことを自負していた。
ところで、当時この映画館オデオンで伴奏楽団のチェロを弾いていたのが、他ならぬ若きヴィラ=ロボスだったが、ナザレについて「彼こそはブラジルの魂を真に具現する人だ」と尊敬していた。ナザレは約200曲のクラシック風のサロン音楽を残しており、今日もなお多くのファンが彼の音楽を楽しんでいる。
最近日本でも二つの出版社からナザレの代表作が楽譜になって出されている。
●プログラムの中で奏される≪オデオン≫、≪ブレジェイロ(ならず者≫は共にタンゴのリズムで、ナザレの作品の中でも最も良く知られ親しまれている曲である。
G.ヴェラスケス Glauco Velasquez(1884~1914)
この作曲家については、今までに日本ではまったく知られることがなかった。また、ブラジルでも、約80年の間忘れ去られていた作曲家だったが、クララ・スベルナー女史は1975年のJota de Moraesの論文に気を引かれ、このグラウコ・ヴェラスケスの復刻に興味を抱き、そのピアノ曲の全曲録音を完成させた。
グラウコ・ヴェラスケスはナポリで生まれ、ある事情のもとに義父母に引き取られ、その養父母が幼くして亡くなったために、プロテスタントの牧師に引き取られてブラジルに連れてこられ、リオ・デ・ジャネイロの名家Alambary Luzの養子として育った。
14才の時にリオの国立音楽学校に入学、F.ナシメントやF.ブラーガに師事したが、早咲きの彼の才能は教師たちを驚喜させ、しばしば試験は免除となった。1911年、27才の時に初めて彼の作品が公になり、批評家や聴衆の注目を浴びることになったが、当時リオ・デ・ジャネイロに滞在していたダリウス・ミヨーも、このヴェラスケスの作品に興味を抱き、特に≪ピアノトリオ第3番≫に注目、フランスに帰国する際にヴェラスケスのスコアを幾つか持ち帰った。1914年彼は結核のためわずか30年の短い一生を終えたが、L.ガレットはこの年にグラウコ・ヴェラスケス協会を設立して、彼の名を作品と共に広めるために努力を払い、1918年までこの協会は続けられた。
ヴェラスケスは1903年、19才から29才までにおよそ100曲程度の作品を残している。この中には習作と思われるものもあるが、どの作品も天才的な閃きを持った素晴らしいものばかりで、約40曲の声楽曲、約30曲の弦楽器の室内楽曲、この中には最高傑作と言われている4曲の≪ピアノトリオ≫がある。この他にも、オルガン曲、合唱曲、そして20曲程のピアノ曲には、ピアノのための短い≪ディヴェルティメント≫、舞踊曲、前奏曲などがある。
このコンサートのプログラムに載せられている≪Devaneio≫は1911年に、≪Bruto Sogno≫は1910年に、≪Impromptu≫は1906年に書かれているが、特に1910年に書かれた≪Bruto Sogno≫は、新たな独創性を駆使して創作されたもので、ppp.からfff.に至る激しいダイナミックスの変化、大胆な和声進行、Lentoからagitatoまでのテンポの劇的な変化など強いコントラストをもって、ピアノの全ての可能性を駆使して書かれている。
クララ・スベルナー女史の情熱によって今回、ヴィラ=ロボスと同じ時代に、ヴィラ=ロボスとは全く違った世界を持った作曲家の作品を同時に聴けることは、ブラジルのこの分野の音楽に新たな視野を広める意味でも、大変興味深いものがある。
H.ヴィラ=ロボス Heitor Villa-Lobos(1887~1959)
来年1997年はヴィラ=ロボス生誕110周年にあたる。ブラジルの生んだこの世界的な偉大なこの作曲家については、このところ日本でも漸くその名が市民権を得るようになってきた。また、最近しばしばヴィラ=ロボスの楽譜の問い合わせが協会宛に入ってくる様になったのも、かつて無かっただけに嬉しいことだと思っている。
ヴィラ=ロボスはその生涯におよそ2000曲にも及ぶ作品を、音楽のあらゆる分野に残している。その野趣でロマンに溢れた作品の数々は、一度耳にすると虜になってしまう魅力的な曲が多い。一般の愛好家の中には、たまたま耳にした曲がヴィラ=ロボスのもので、それ以来すっかりこの作曲家に惚れ込んでしまったと言う人が多いが、最近、インターネットの情報にのってこの作曲家の情報が結構交歓されていますよ、と聞かされてみると、なるほどそのような時代になったのかと感心したが、どの様な時代になっても、数十年の昔にブラジルの大地に芽生えた人間の叫びが、なお人々の心を捕らえていることは感慨が深い。
こつこつとコンサートを繰り返してきた、日本ヴィラ=ロボス協会10年の努力は努力として、これからも地道な啓蒙が続けられるだろう。ただ、その頭の上で電波がヴィラ=ロボスを乗せて飛び交っているのかと思うのは大変愉快なことである。
≪悩みのワルツ≫
1932年、45才の時に書かれた極めて叙情的な美しい曲。ホ長調の前奏の後に、ホ短調の悩みのワルツが始まり、激しくなりながら訴えるように流れて行く。優しい情感に溢れた小品。
≪“ブラジルの魂”ショーロス第5番≫
1925年、パリで書きはじめられた一連の≪ショーロス≫は全部で15曲、そのなかでピアノ曲として書かれているのは、この曲だけである。ショーロとはブラジルの民衆の中で発達した音楽の形態で、フルートやサックスなどの管楽器、ギターなどの弦楽器と打楽器などで路上で奏でられるセレナーデのようなものである。ショーロとは“泣く”と言う意味があり、もとは哀愁を帯びた演奏の仕方に由来するものだが、ヴィラ=ロボスはこのショーロの即興性を自作の≪ショーロス≫の中に活かそうと試みている。≪ショーロス第5番≫はブラジル人特有のサウダーデ(郷愁)を描いたもので、中間の情感の激しい高揚はブラジルの野生を現しているものと思われる。
≪ブラジル風連作より“セレナード歌いの印象”≫
ブラジル風連作≪シクロ・ブラジレイロ≫は彼の後期の作品で、ピアノ曲の中でも最も演奏される機会が多い。四つの曲からできた組曲だが、個々に演奏されることも多い。ブラジルの民族的要素を強く匂わせると共に、ピアニスティックな効果にも富んだ好個の作品で、≪セレナード歌いの印象≫はその2曲目に当たり、四曲の中でも最もスケールが大きい。
ノスタルジックなワルツに始まり、これに次第に変奏が加わって盛り上がっていく。彼が若い頃に、ギターを手に町を渡り歩く民族楽団に加わっていた頃の印象が、この曲に込められている。
≪赤ちゃんの家族 第1集≫
8曲の小曲からなる組曲で、いわばヴィラ=ロボス風の≪子供の情景≫、また≪子供の領分≫ともいえる作品である。彼のピアノ曲の中でも最も良く知られた作品である。ポーランド出身の世界的ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインがリオ・デ・ジャネイロを訪れ、この作曲者と知り合ったのが1918年で、ちょうどこの曲が書き上げられた年であった。ルービンシュタインはその後、この曲を持ち歩き世界各地のコンサートで演奏し、ヴィラ=ロボスの存在を広めた。戦前に初めてルービンシュタインが日本にやって来た時に、プログラムを変更してこの曲を演奏したと言う話が残っている。
赤ちゃんを取り巻く8つの人形をテーマに、機知と情緒で纏められたこの組曲には、子供が大好きだったヴィラ=ロボスの気持ちがよく現われており、第1曲≪ブランキーニャ(色白ちゃん)陶器の人形≫、第2曲≪モレニーニャ(小麦色ちゃん)紙の人形≫、第3曲 ≪カボクリーニャ(白人とインディオの混血ちゃん)どろ人形≫、第4曲≪ムラティーニャ(白人と黒人の混血ちゃん)ゴム人形≫、第5曲≪ネグリーニャ(色黒ちゃん)木の人形≫、第6曲≪ポプレジーニャ(可愛そうな貧乏ちゃん)ボロ切れの人形≫、第7曲≪ポリシネル(道化ちゃん)道化人形≫ 、第8曲≪ブルーシャ(魔女)布のお人形≫。それぞれに特徴が見事に表現されていて楽しい曲である。
編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA