日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

村方千之氏からの手紙㉞『ショーロス第3号』(1989.5.15)

村方千之氏からの手紙㉞(1989.5.15)

村方千之氏が日本ヴィラ=ロボス協会の会報『ショーロス第1~12号』に執筆した文章を抜粋し、「村方千之氏からの手紙」というシリーズでご紹介しております。

村方 千之 「この10年を振り返って」、
『ショーロス』第3号
(日本ヴィラ=ロボス協会会報)
平成元年(1989)5月15日、1~4頁

発行 村方 千之 / 日本ヴィラ=ロボス協会
編集 濱田滋郎 與五澤實


この10年を振り返って

 村方 千之

 ここに、9年前の1980年1月14日付の東京新聞夕刊のある記事を紹介したいと思う。これは詩人でもあり作家でもある清岡卓行氏のエッセイで「惹かれるままに」と題して何回か夕刊に連載されたものの最初のエッセイである。

[惹かれるままに](1)
~ヴィラ=ロボス記念音楽会~“密かな言葉に酔う”

 昨年(1979年)の十二月二十八日の夜、一ツ橋の日本教育会館で、ブラジル大使館主催により、ブラジルの生んだ最大の作曲家と言われる、エイトル・ヴィラ=ロボス没後20年記念コンサートが行われた。私はこのコンサートの予告を新聞の小さな記事で知った時、思いがけない贈り物にぶつかった喜びを感じ、都心に出たついでに早速前売り券を買った。切符は二千円均一で、席はどこでも自由であった。なるほど日本ではまだヴィラ=ロボスはよく知られていないから、客はそれほど集まらないのだなと想像した。

東京でのヴィラ=ロボスの音楽の実演が聴ける機会はとても少ない。近頃では、数年前にブラジル大使館で行われた彼の作品のためのコンサート、それに昨年秋のベルリン・フィル十二人のチェリストによる≪ブラジル風バッハ第一番≫ぐらいではないだろうか。ともかく、今回のように盛り沢山なものは初めてと思われる。プログラムはこんな風であった。ギター独奏(中村博)による≪前奏曲≫≪ショーロス≫≪練習曲≫からの六曲。オーケストラ(村方 千之指揮、東京シティ・フィル)による≪ブラジル風バッハ第九番≫≪第二番≫

私が初めてヴィラ=ロボスを聴いて感嘆したのは四年ほど前であった。それは未知の作曲家への興味から≪ブラジル風バッハ第二、五、六、九番≫(演奏はカポロンゴ指揮、パリ管弦楽団)のレコードを買った時である。繰り返して聴く何回目かの時、私はこれらの音楽が本質とするエポジーにいわば快く感電した。私はその体験をある掌編の中で記した。彼が語りかける密かな言葉を、こんな風に根源的なものとして受け取ったのである。何のために生きているかって?死ぬためにさ、ほら、私はこんな風にね、せつなく、物憂げに、疲労して、酷らしく、陰惨なものを知り尽くしながらも、甘美な夢をなお失わず、要するに、私の好きなやり方で抒情的に、遠回りして死のうとしているのさ。

私はこの時以来ヴィラ=ロボスが好きになり、日本で出ている彼の数多くのレコードを次々に集めた。そして、いつになったら日本で、彼の音楽の生演奏をたっぷり聴けるだろう、と頼りなく感じていた。

その希望が思いがけない形で満たされることになったのである。ホールは新しく綺麗であった。客席は九百近いと聞いたが、ほぼ満員になった。新聞の片隅の記事でこれだけ集まるのは、彼の人気が根付いた証拠と思われた。創立四年目のシティ・フィルのヴァイオリンとヴィオラは若い女性ばかりで、チェロや管楽器などに男性がいた。平均二十五才という。

この夜の音楽に私は酔った。二ヶ月前にカラヤンの振るベルリン・フィルを聴いていたので、自然と演奏にいろいろと幼さを感じ、もっと明瞭なめりはりがほしいと思ったが、作曲家を愛している指揮者の情熱にこたえる若々しい生気を覚えたのである。特にアンコールの≪ブラジル風バッハ第四番≫の前奏曲がよく、その沁みわたる緩やかな調べは、管弦楽団の現在の体質に合っていると感じた。

日本におけるヴィラ=ロボスの最初の一里塚に立ち会ったような、ほのぼのとした楽しさを抱いて私は帰路についた。

清岡卓行(詩人、作家)


ここで語られているコンサートについて実は次のような裏話がある。ヴィラ=ロボスの没後20年目を記念したコンサートを日本で開いてくれないかと言うブラジル外務省からの話が、ブラジル大使館を通して私のもとに持ち掛けられたのは、このコンサートの行なわれた年(1979年)の11月10日過ぎ頃であった。この年はブラジルでは勿論、パリやニューヨークなどでも没後20年の記念の催しがいろいろ行われたそうで、今回はこの話もブラジル側で予算を持つからと言う積極的な申し入れであった。

私自身この時までは没後20年を深く意識していたわけではなかったから、この話にはおおいに興味を抱いていた訳なのだが、記念すべき年が後一ヶ月半しか残されていないと言うこの時期になって、このような話を持ち込んでくると言うブラジル的なおおらかさには少々戸惑ったのである。東京では11、12月と言えば年間で音楽界が最も忙しく込み合った時期であり、今になって会場や演奏者を用意することの難しさは申すまでもない。残念な話だが今からではとても実現できそうにない旨を説明し、このときは大使館を引き下がったのであった。だが帰りの電車の中でよくよく考えているうちに折角相手側がお金を出してくれると言うこの話を放棄するのはいかにも勿体ないことだと思い直し、再び大使館に引き返し、悪条件を覚悟の上でコンサートを引き受けることにしたのである。

会場探し(空いて居るところ皆無)、出演者の決定(楽団も個人もスケジュール一杯)をようやくクリヤーして、一方ではプログラミング、広告、印刷と言った全てのことを殆ど同時に進め、神業に近い準備のもとにこのコンサートは暮も押し迫った12月28日、ようやく探し出した日本教育会館で、また休みを返上して出演を引き受けてくれた東京シティ・フィルによってかなったのである。日時、会場、演奏と様々なハンディを負ったこのコンサートではあったが、暮れにも拘らず予想以上の入りであったことと、演奏内容はともかくとしてヴィラ=ロボスのオーケストラ作品を三曲も日本で初演できた喜びとともに満足は大きく深いものがあった。

年も明け昨年暮れの後始末も未だ終わらない1月14日、私はこの日の東京新聞夕刊を見てすっかり感動させられた。そこには何と暮れのヴィラ=ロボス・コンサートのことが大きく文芸欄に取り上げられているではないか。早速執筆者の清岡卓行さんにお電話しお礼と感謝を述べ、後日お会いした時には初対面ながらヴィラ=ロボスの話におおいに花を咲かせたのであった。

ヴィラ=ロボス、野趣にしてロマン溢れる天才的なこの作曲家については日本では殆ど知られていない。欧米指向の強い音楽家やファンの殆どは彼がブラジルの作曲家であると言うだけで殆ど興味も示さないのが実情である。ただ、ギター作品だけはこの世界ではよく知られていて、一般にヴィラ=ロボスはギターの作曲家だと思い込んでいる人もいる。だが、本当は生涯に2000曲余りの作品をあらゆる分野に残した偉大な作曲家であることをぜひ日本のファンにも知って貰いたいものだ。それには機会を作って彼の作品を演奏し紹介していく事しかない。清岡氏のエッセイと彼との話から到達した結論はそのことだったのである。よーし!これから一つ生誕百年に向けてヴィラ=ロボスの作品をできる限り多く紹介しヴィラ=ロボスを知って貰わなければならない。そしてヴィラ=ロボスの生誕百年祭を日本でも盛大に行いたいものだと本気に考えたのはこの時からなのである。早速計画を立ててブラジル大使館にこれを提出した。先ず生誕100年祭までの7年間に4回ないし5回のヴィラ=ロボスの作品を紹介するコンサートをブラジル側の援助を得て行いたいと言うもので、これらのコンサートでほぼ代表的な作品を紹介し、日本でのヴィラ=ロボスの認識を高めファンを増やし、雰囲気を盛り上げ、生誕百年を迎えたいというものであった。


大使館側では幸いにもたいへん好意的にこの計画を受けとめ、本国との折衝も順調に運び、計画は実現されることになり、早速この年(80年)の11月18日に『ヴィラ=ロボスの作品を聴く特別コンサート』<管弦室内楽と合唱の夕べ>が「ツイス」木管五重奏団他のメンバーと、合唱グループ「ヴォイス・フィールド」及び私の指揮により行われたのである。

 プログラムは以下の通り。

・[室内楽]
≪ショーロス第2番≫(Fl. Cl.)、
≪ファンタジア・コンセルタンテ≫(Cl. Bn. Pn.)、
≪ショーロスの形式による木管五重奏曲≫(Fl. Ob. Cl. Bn. Hr.)

・[合唱]
≪ベンジッタ・サベドリア≫(混声6部無伴奏)、
≪ブラジル風バッハ第9番≫(混声4部無伴奏)

・[合唱とアンサンブル]
≪ノネット≫(Fl. Ob. Cl. Bn. Sax. Hrp. Pn. Cel. Perc.4 Coro.)

この殆どは本邦初演であった。この時大使館側はカラー写真の表紙の素晴らしいプログラムを提供し、中央会館の満員の聴衆は熱のこもった演奏を通してヴィラ=ロボスの個性溢れる豊かな野趣とロマンの音楽に共感し感動し満足した。


このコンサートの成果の大きさはブラジル側にも高い評価を得て、続く次の計画の実現を促し、3回目のコンサートは2年後の1982年4月9日に同じく中央会館ホールで『ヴィラ=ロボスの作品を聴く特別コンサート』<弦楽室内楽と歌曲、チェロオーケストラの夕べ>と題して行われた。メンバーは山口裕之影山誠治波木井賢北本透樹田中雅弘小山みどりなどをはじめとするコンクールで賞をとったことのある新進気鋭の若い弦楽演奏家ばかり25人が選抜された。ソプラノ独唱には酒井美津子、ピアノ伴奏は宮崎幸夫、それに私の指揮で行われた。

 プログラムは次の通り。

・[室内楽]
≪ショーロス・ビス≫(Vn. Vc.)、
≪弦楽四重奏曲第16番≫
≪器楽五重奏曲≫ (Fl. Vn. Vla. Vc. Hp.)

・[歌曲] ≪純ブラジル風歌曲集≫より≪パリダ・マドナ≫
≪セレスタ≫より≪わが懐かしの思い出≫≪モジーニャ≫
≪歌とヴァイオリンのための組曲≫

・[オーケストラと歌]
≪ブラジル風バッハ第5番≫≪ブラジル風バッハ第1番≫

このコンサートも前回と同様にほとんどが初演のもので、初めての出会いにも関わらず演奏する側の深い共感が得られてヴァイオリンとチェロの≪ショーロス・ビス≫を初めどの室内楽も実に質の高いアンサンブルが披露された。また、歌い手の伸びやかな美声は作品の思いを見事にとらえて感動を誘い、最後を飾った16台のチェロによる名曲≪ブラジル風バッハ第1番≫も豪快で情感ほとばしる力演はまさに圧巻で、立っている人もいた超満員の聴衆を興奮させ魅了した。

主催者の喜びは勿論のこと、三回続けてきたヴィラ=ロボス連続公演の成果の大きさは自他共に誰もが高く評価し認識したことは申すまでもない。

私の計画では後2、3回、少しずつコンサートのスケールを広げ、出来るだけ知られていない分野、とくにオーケストラを含めた作品にまで至りたいと考えていたのであったが、誠に残念なことにこの計画はこれでひとまず終わらざるを得なかった。一時は景気上昇に活気溢れていたブラジルは、まさにこの83年頃から経済が急激な下降をし始め世界最大の借金国と言われ、激しいインフレに襲われ始めるにいたって自国の文化啓発に援助する力もなくなったのである。ただ、今にして思われることは自国を代表する作曲家であるにせよ、一人の作曲家の作品を啓蒙するために国が援助を惜しまないというのはやはり立派な思想であって、世界最大の経済大国と言われている何処かの国の政府とは意識と思想の在り方が根底から違うことを痛感する。日本では一般的にとかくブラジルに対する意識が後進国的な見方をする人が多い。しかし、芸術文化に対する意識や思想が日本より遅れている訳では決してないのである。

さて、その後の生誕百年に至るまでの5年間は、継続は力なりと言う点から見るならば、そのブランクは大きなものがあった。折角盛り上げていたヴィラ=ロボスへの認識は一般的には尻つぼみとなった。しかし、その後私自身としてはヴィラ=ロボスの作品を自分の関わるコンサートのプログラムに取り上げる努力をしなかったわけではない。ベートーヴェンの≪第9シンフォニー≫と≪ブラジル風バッハ第9番≫の組み合わせ(1983年)や日本民族音楽協会主催の 『ヴィラ=ロボスと渡辺浦人』における≪サキソフォンと弦楽オーケストラによるファンタジア≫の初演(1984年)などをはじめ、機会ある度に私は紹介の努力をしてきたのであった。

1986年の10月日本ヴィラ=ロボス協会が設立され、多くの賛同者を得て1987年の生誕百年を盛んに開催できたことは本当に嬉しいことであった。今ではヴィラ=ロボスについて日本の音楽界一般の認識が大きく高められつつある事は本当に嬉しいことである。そのことはコンサートにヴィラ=ロボスの作品に就いて問い合わせがかなり多くなっている点でもこの事がうかがえるのである。

先日私の指導しているある指揮法講習会の後の会のことであった。「先生、ヴィラ=ロボスと言う作曲家をご存知ですか。」とある人から聞かれたのであった。周りにいた殆どの人はこの質問の真意が分からずに目を丸くしていたが、当のご本人は私がヴィラ=ロボス協会の会長であることを全く知らないでの質問であったらしい。「かつて私はヴィラ=ロボスなど全然知らなかったのだが、ある時スイッチを入れたラヂオのFMから流れてきた音楽にいつもになく激しく魅せられたのです。今まで聴いたことも無かった曲だったのです。その音楽を通して伝わってくる作曲家の人間性に深く感動してしまったのです。こんな作曲家が一体どこに居たのかと思い、曲が終わって知ったのがヴィラ=ロボスだったのです。この共感を自分のものだけにしておけなくて、周りの人に話したりしていますが、若しや先生も知っておられるのだろうかと思って……、いやはや認識不足とは言いながら申し訳ありません。」ということであった。しかし、私自身にしてみるとこれほど嬉しい話はかつてなかったほどである。ヴィラ=ロボスの音楽がストレートに人の心を捕らえる力のあることはよく聞く話で、多くが偶然のチャンスから突然ヴィラ=ロボスが好きになる人が多い。だが、今回の様に無作為にこの真実に直撃された話は何よりも感激的であった。こう言う経験のある方はぜひともこの『ショーロス』に原稿を寄せて戴きたいものである。

1979年から10年が経過しヴィラ=ロボスの没後30年を迎える時が来たのである。この10年を振り返って見るといろんな事が思い出されて、長かった様でもあり、速かったようでもあり感激ひとしおと言うところである。協会の活動が単に表面的なものではなく、深く根ざした啓蒙活動として長く息づきたいものだと願っている。

(むらかた ちゆき/
日本ヴィラ=ロボス協会会長・指揮者)


編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA