日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

卒論要旨の紹介

エイトール・ヴィラ=ロボスの弦楽四重奏曲
~民族主義的考察を通して~

東京藝術大学音楽学部楽理科卒業論文
(平成2年度)

指導担当 船山隆教官
市村(旧姓:奥藤)由布子
(昭和62年度入学)

【卒論要旨】

ブラジルでは、19世紀には先住民インディオの文化とヨーロッパ伝来の文化、さらにアフリカから奴隷として運び込まれた黒人たちの文化が微妙に混じり合って、新しい混血のオリジナリティを具えた民族音楽が形成されていたにもかかわらず、ブラジルのいわゆるクラシック音楽の作曲家達はかなり遅くまでそれらに気づこうとせず、とかく視線をヨーロッパに向けがちであった。真の意味におけるブラジル独自の音楽言語を確立するには、20世紀、エイトール・ヴィラ=ロボス Heitor Villa-Lobos (1887~1959)の活躍を待たなければならない。

彼に関する本格的な研究の扉は開かれたばかりである。現在入手可能な資料の大半はポルトガル語で書かれており、情報の食違いや不満な点も多く、楽曲分析を扱ったようなものは余りない。推定1000曲といわれる彼の全作品の総括的な評価はまだなされていない。

本論では、《弦楽四重奏曲》を研究対象として選んでいる。彼の17曲の《弦楽四重奏曲》は、約40年間にわたり作曲され続けているので、民俗衣装を着た《ショーロス》やバッハという洋服を着た《バキアーナス・ブラジレイラス》といった、ある一時期に集中して書かれた作品よりも、裸のヴィラ=ロボス像を捉えることが出来、最も西洋的な曲種に臆することなく挑戦していったという事実の中に、彼の作曲に対する1つの姿勢を窺うことが出来ると考えられるからである。この作品は現在のところ演奏される機会は少ないが、今後彼の室内楽の逸品として注目されることが予想される。

本論の目標は、ヴィラ=ロボスの《弦楽四重奏曲》の資料研究、並びに楽曲分析を通して、彼の作品の全貌の把握に向けての第一歩とすることである。そして彼が実践したといわれる民族主義が《弦楽四重奏曲》とどう関わっているかを考察する。
第1章では、ヨーロッパにおける民族主義と、ブラジルにおけるそれの持つ意味の違いについて述べ、彼が<民族主義者>と呼ばれる所以を再確認する。第2章では、《弦楽四重奏曲》を扱った唯一の研究書の著者、アルナウド・エストゥレッラArnaldo Estrellaの見解を参照し、批判的に論を進める。そして《弦楽四重奏曲》にみられるヴィラ=ロボスの音楽思想と民族主義について考察する。第3章では、エストゥレッラが不当な評価を与えている《弦楽四重奏曲第5番》を取り上げる。そこで使用されているブラジルの童謡に注目し、ピアノ曲《シランジンニャス》と対比することによって、彼の音楽語法を探る。第4章では、《弦楽四重奏曲》にみられるヴィラ=ロボスの音楽観について総括する。

ヴィラ=ロボスは《弦楽四重奏曲》、特にその《第5番》において、童謡という民族的要素を咀嚼する作業と、消化して自分の肉とする作業を同時進行させている。彼はこれら民謡の育ったブラジルの大地に根を張り、そこからブラジルの魂を吸い上げ葉に養分として貯え、ブラジル独特の鮮やかな原色の花を見事に咲かせたのである。そして彼が育てた民族主義は、種子として再びブラジルの大地に蒔かれることになるであろう。彼の根底に流れる民族主義とは、西洋音楽がますます知的で複雑なものになろうとしていた20世紀に、よい意味での大衆性、決して野卑には陥らない民衆性を具えた音楽を再び人々の手に与えることを目的とするものである。最後に、彼の作曲家としての理想像が「狭い意味での民族主義を打ち破った全人類的な作曲家」であったことを強調しておきたい。

🎧卒論執筆中に何度も聴いたCDをご紹介します。

Villa-Lobos:《Quarteto de Cordas 4,5,6》
Quarteto Bessler-Reis