日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

村方千之氏からの手紙㊷『ショーロス第11号』(1996.2.12)

村方千之氏からの手紙㊷(1996.2.12)

村方千之氏が日本ヴィラ=ロボス協会の会報『ショーロス第1~12号』に執筆した文章を抜粋し、「村方千之氏からの手紙」というシリーズでご紹介しております。

村方 千之「巻頭言 10年目を迎えた協会」、
『ショーロス』第11号
(日本ヴィラ=ロボス協会会報)
平成8年(1996)2月12日、1頁

村方 千之「日本・ブラジル修好100周年に思う」
『ショーロス)』 第11号
(日本ヴィラ=ロボス協会会報)
平成8年(1996)2月12日、2~3頁

発行 村方 千之 / 日本ヴィラ=ロボス協会
編集 佐藤由紀子


巻頭言 10年目を迎えた協会

 村方 千之

日本ヴィラ=ロボス協会は今年10周年を迎えることになります。

1986年の10月、ヴィラ=ロボスの音楽が好きな人達が中心になり設立発足した協会は、1987年の“ヴィラ=ロボスの生誕100年”の音楽祭、89年の“ヴィラ=ロボス歿後30年記念音楽祭”、91年の“ブラジル現代音楽祭”そして昨95年の“ヴィラ=ロボス・ブラジル音楽祭’95 ”と大きなイベントを実現し、ヴィラ=ロボスをはじめブラジルのクラシック音楽の日本での啓蒙に大きな役割を果たしてきました。

協会はつぎの10年に向けてまた新たな思いで、ヴィラ=ロボスのみならずブラジルとの音楽文化交流により幅広い活動を推進し、とくに音楽家の招聘や派遣、楽譜や音楽資料の斡旋や公開には今まで以上に努力をしたいと考えています。

まず今年の中心となる活動は、9月にリオデジャネイロでピアニストとして活躍しておられるクララ・スベルナールさんをお招きし、ブラジルの作曲家達の作品を中心としたコンサートやレクチャー、公開レッスンを企画する予定です。

昨年来日したブラジルの作曲家エジーノ・クリーゲルさんは「われわれの国の音楽を日本でこんなに熱心に広めている人達の活動を目前にして、非常に感動しました。われわれも日本の文化についてもっと知ろうと努力しなくては本当の交流はできませんね!」と言って帰られました。人類の未来ある平和のためにも、これからは益々グローバルな文化交流が大切になるでしょう。協会はその尖端を進みたいものです。


特集【100周年記念コンサート】

日本・ブラジル修好100周年に思う

村方 千之

“ふりかえれば100年。日本とブラジル、今新しい波”のキャッチフレーズのもとに迎えた昨年の「日本ブラジル100周年」記念行事は、年明けの地震、続くオウム事件、沖縄問題、金融機関問題などの続く中、世の中の経済不況も重なって、盛り上がりを欠く不運な巡り合わせになりましたが、それでも両国間では多くの有意義な記念の交換行事が熱意ある人々の力で行われました。

協会主催の記念行事“ヴィラ=ロボス・ブラジル音楽祭’95”も組織委員会の後援を得て、かつてない8名の音楽家をブラジルから迎え、10月14日「講演とコンサート」、17日「アマゾンの森・オーケストラの饗宴」、19日「室内楽の夕べ」と3回のコンサートを行い、来聴者の方々からは大変ご好評をいただいたことは嬉しいことです。

日本の真反対にあるブラジルは、地球上では最も遠い国ですが、100年前にパリで日本とブラジルとの通商条約が結ばれ、13年後に最初の日本移民791名が移住した時から両国の関わりが始まりました。戦前の日本移民はブラジルの農業開拓に大変な苦労を強いられたと聞きましたが、反面この国の農業の発展には野菜の品種改良などに大きな功績を残しました。戦後は日本の高度成長にともない多数の企業が開発援助のために渡り、この国の経済成長に大きな役割を果たしました。当時は日本とブラジルは最も遠くて近い国と言われる程の関係にあったのです。ただ、80年以降ブラジルの経済が破綻状態にはいる頃から日本の企業の多くは引き上げてしまい、激しいインフレと失業のために日系人が逆に日本に出稼ぎに来るという現象が起きているのはご存知の通りです。しかし、今ブラジル在住の日系人はアメリカの80万人を遥かに超えて130万人を数え、日本とブラジルとの関わりは一般に考えられている以上に深いものがあるのです。

ところで、経済を中心として発展してきた今日までの両国の関係も、つぎの100年に向け“新しい波”を求めてより幅広い交流を目指す時期を迎えています。しかし、日本人の多くはブラジル人をよくは知らないし、同様にブラジル人はそれ以上に日本について知らないのです。お互いが国情を超えて真の友好関係を深めるためには、これからは経済、技術、貿易などの交流に加えて、文化交流の大切さに目を向けなくてはならないでしょう。

いつも私が言葉にするように、日本人の一般的なブラジル認識は相変わらず、コーヒー、アマゾン、サッカー、サンバの域を出ていません。また、テレビなどを通して伝えられるブラジルの情報の多くも自然環境に関すること、観光名所の紹介の他は、あまりよくない事件の報道に終わっているのは残念なことです。これからはこの国の500年の歴史が培ってきた豊かな文化に触れる情報により力をいれて欲しいものです。

こと音楽に関して見るならば、ブラジルは世界で最も豊かな音楽的土壌を持った国です。特にポピュラー音楽の分野ではブラジルに並ぶ国はないと言ってもよいでしょう。それは、陽気で楽天的なポルトガル、イタリアなどのラテン系の人々と、天性の音楽的感性を持ったアフリカ系の人々、それにインディオの伝統が混ざりあって作り出す複合的なブラジルならではのものです。サンバ、ショーロ、ボサ・ノーヴァは日本でもよく知られていますが、その源流となっているフォルクローレの豊かさこそは、500年のブラジルの歴史が作り出した貴重な彼らの宝のようなものなのです。

一方、バッハを頂点としてヨーロッパ文化を基盤に世界へ広がっていった伝統音楽、つまりクラシック音楽は、ポルトガル王朝文化と共に、このブラジルに上陸しました。以来ヨーロッパとは違ったブラジル的な土壌の中でその言語を育み発展し、カルロス・ゴメスに始まってヴィラ=ロボスによって確立され現代に至っています。

ゴメスは、初めてブラジルの物語を題材にしたオペラを書き、ブラジル人としてヨーロッパで認められた最初の人です。彼の作曲技法的なものはロッシーニやヴェルディの域を出ていませんが、ブラジルのクラシック音楽界にとっては祖と言われるに相応しい存在なのです。その点、ヴィラ=ロボスは彼の敬愛したバッハからの霊感を受け、全く独学で作曲技法を会得し、ブラジルの民俗、民衆音楽のすべてを飲み込んだ上で、彼ならではの手法と感性で作品を書きました。このようにブラジル人としての音楽語法を確立したところに彼の偉大さがあります。彼の音楽が表す豊かな激しい人間的情感と、野趣の溢れた雄大さは、まさにブラジルの大地そのものであり、人を魅了します。だからこそブラジルを知るものは、強く彼の魂に共感させられるのです。

私は20年前にブラジルに渡りヴィラ=ロボスを知って以来、彼の音楽を日本に広めたいと願って活動し続けているのも、私がブラジルに魅了されているからなのです。

ブラジルに一度足を踏み入れたが最後、殆どの日本人はこの国の大ファンになってしまい、俗に言う「ブラジルきちがい」・・・「ブラキチ」になると言われています。世界中を自転車旅行した青年が「最も強い印象が残っているのは南米の旅、その中でもブラジルは特に私を魅了した」という話を聞きました。私も1975年に初めてブラジルの大地を踏んだ時に「ブラキチ」になり、以来9回この国を訪問し、ブラジルは今や私にとっては抜き難い大きな部分を占めています。

あの広大な自然の大地と、そこに自由に生きているおおらかな人達。この国で味わえる独特な解放感は行ってみなくてはわからないとも言えますが、物質的に豊かで全て外観が整って綺麗な日本、しかし精神的には少しも豊かに生きる余裕のない日本に比べると、物はなくても束縛されない精神と、おおらかに生きる術を知っているこの国の人々は人間らしく幸福そうに見え羨ましくもなります。

さて、今回の“ヴィラ=ロボス・ブラジル音楽祭’95”は、ブラジルのクラシック音楽を象徴的に分かりやすく集約した、内容豊富な、滅多に実現できない贅沢な企画であったと自負しています。しかし残念なことに7万枚のチラシの効果も乏しく、音楽ファンの興味を得ることができず、来聴者が大変少なかったのは非常に寂しいことでした。

地球上には北半球と南半球に様々な国があり、それぞれに特徴ある興味深い文化を持っています。しかし、日本のクラシック音楽ファンのヨーロッパ指向、しかも限られた有名(?)なものにしか目を向けないという情緒の貧しさ、乏しさには大変寂しいものがあります。日本人は本当に音楽が好きなのでしょうか。お金をかけた巧妙な宣伝にのりやすく、ブランド志向。チケットが高いと良いものだと信じ込み、ヨーロッパやアメリカからの外来演奏家であればなんでも飛びつき、中身の良し悪しに関わらずブラボーを連発する。外来の演奏家たちからも、その馬鹿さ加減を笑われるほどになっていることさえ気が付かないのは情けないことです。

私は昨年9月に100周年記念のコンサートのために、日本の30名のフルートオーケストラと一緒にブラジルに演奏旅行し、リオデジャネイロとサンパウロなど3ヶ所をまわってきました。どの会場でも、超満員の聴衆の素直な素晴らしい反響には感動させられました。感性や伝統や民俗的な違いはあるのでしょうが、概してブラジル人は好奇心が強く、音楽が本当に好きな人達だと思われます。彼らはコンサートに来るとまず温かく耳を傾け、音楽を楽しもうとします。聴き終わると一斉に立ち上がって感動を表し舞台にも迫って来ますが、もし意に反するような演奏に出会うと、さっさと席を立って出て行ってしまうし、ブーイングすることもあるわけです。

まず自分の感性で音楽を聴こうとすることが、音楽を楽しむための第一条件です。そこから本当によいものを知ること、よいものに出会うことができるのです。未知なものに積極的な興味を持つ豊かな好奇心が持てると、隠れたよいものを探し出す楽しみを発見できるのです。

国際的な文化交流を発展させるには、まず、自主的な豊かな感性を持とうとしなくては自国の文化を豊かなものに育むことも、他国へ広めることもできません。特に、いま音楽を学んでいる若い人々には、そうした柔軟で積極的な心を抱いてほしいものです。これからの国際文化交流にとっては、若い人の純粋で新鮮な情熱がぜひ必要なのです。

「ブラジルのクラシックなんて、どうせサンバみたいなものなんだろうと思って、お付き合いで聴きに行ったのに全然違ったもので、多彩で、雄大さや変化のある深い情緒が伝わってきたのに感動しました」という話が伝わってきました。

ブラジルの話に限らず、地球は丸いのです。経済交流は大切なものですが、それ以上に心の交流、つまり文化交流をグローバルに、盛んにすることこそ人類の真の平和をつくりだす源(みなもと)だと信じます。

(むらかた ちゆき/
日本ヴィラ=ロボス協会会長・指揮者)


編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA