日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

村方千之氏からの手紙①(1977.1.24)

村方千之氏からの手紙 ①(1997.1.24) 

村方千之氏がプログラムノートに執筆した文章を抜粋し、「村方千之からの手紙」というシリーズでご紹介しております。


ヴィラ=ロボス国際指揮者コンクール特別賞に輝く
―― 村方千之指揮 特別演奏会 ――
1977[昭和52]年1月24日
虎ノ門ホール
マネジメント:菊池音楽事務所

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ヴィラ=ロボス(1887-1959)

エイトル・ヴィラ=ロボスは、ブラジルの生んだラテン・アメリカを代表する最大の音楽家である。

彼は1887年3月リオ・デ・ジャネイロで生れ、1959年同地でその偉大な72年の生涯をとじたが、作曲家としてばかりでなく指揮者として、また教育家として、祖国ブラジルの音楽の文化確立と向上のために精力的な活躍をし、数々の業績を残している。しかも旺盛な創作活動によって残された作品の数は実に1300曲にもなるといわれている。

ヴィラ=ロボス家はブラジルの伝統ある名家で、古典学者、作家として名の知られていた父は、熱心なアマチュア音楽家でもあり、叔母もまたピアニストとしてバッハを愛奏したという。彼は早くからそうした恵まれた音楽環境の中に育ち父からチェロ、ギター、クラリネットなどの手ほどきをうけ、子供のころからすでに優れた才能を示していたと伝えられている。

11才のときに父を失った彼は、母の反対をおしてギター一つを抱えて家を出、生活のために劇場、映画館、レストランなどを廻る町の放浪楽団にはいって過ごしたが、計らずもこの中で楽器や作曲に関する様々な知識を身につけることになった。その後わずかの間、専門の音楽教育を受けたことはあるが、作曲法については殆ど敬愛するバッハをはじめ好きな作品を熟読、研究することで独学で学んだということである。

25才のときにブラジル奥地の科学調査団に同行する機会を得た彼は、以前から興味を抱いていた原住民の音楽に触れ、それ以来生涯を通して国内ばかりでなく南米各地を旅して民俗音楽の採譜、蒐集と研究を続けた。とくに27才ごろからの作品には、そうした民族音楽からの影響が明らかになってくるが、さらに1918年ブラジルを訪れたダリウス・ミヨーに会ってからは近代フランス印象派の音楽に強い関心を抱き、早速、政府の奨学金を受けて36才から4年間、パリに遊学して多くの作曲家達と交った。彼はここで自作を発表して認められ、その後さらにヨーロッパ、アメリカなどを廻ってその特異な天才ぶりが広く認められることになった。

帰国後、リオ・デ・ジャネイロ市の音楽視学官に任ぜられた彼は、遅れていた音楽教育の改革にのりだし、教師の合唱団を創設したり、やさしい記譜法を考案したり、子供たちのための民謡集の編集を行うなど教育の分野で精力的に活動して多くの貢献をした。

一方、各地にオーケストラを創設したり、音楽愛好者の組織を作ったり、バッハをはじめ多くの作品の初演を手がけたり、そうした精力的な啓蒙活動は生涯、休みなく続けられたという。

彼は、殆んどあらゆる楽器を弾きこなしたと伝えられているが、ギター曲をはじめ声楽曲、器楽曲、ピアノ曲、室内楽曲、交響的作品とその創作の分野があらゆる面に亘っているのは、彼のそうした巾広い天賦の才能によるものと考えられる。ただ、わが国では彼のギター作品くらいしかかつて紹介されたことがなく、その膨大な他の分野の作品が殆んど知られていないのは誠に残念なことである。

ヴィラ=ロボスならではの詩情と野趣に溢れた、ブラジルの森の響きと香りのする数々の作品を、今後多くの機会に紹介してみたいと私は考えている。

●Bachianas Brasileiras (バッキナーナス・ブラジレイラス)について

「ブラジル風バッハ」と訳されているこの作品のシリーズは9曲あるが、「ショーロス」と呼ばれ、同様シリーズで書かれているブラジル風セレナーデとともに、これらはヴィラ=ロボスが最も力を入れて練り上げた代表的な作品としてあげることができる。

彼は叔母からの感化もあってはやくからバッハに深く傾倒し、終生創作上の大きな影響を受けているが、バッハについては「その作品はすべての種族をつなぐきづなであり、世界中の民族音楽の心の奥深く根ざす共通の言葉をもつものである」ともいっており、バッハの作風と精神とをブラジルの音楽と融合させたいと願った彼の意図がこの「ブラジル風バッハ」を創作するきっかけとなったのだろう。

その最初の現われは1930年、43才のときの第1番であり、チェロのみの8重奏というユニークな形で書かれているこの作品には、自分でなくては書けない音楽の創作という願いが強く現れているのである。

9曲は、独奏曲、重奏曲、室内楽曲、交響的作品と内容を異にしてはいるが、いづれもブラジルの民族音楽をもとにした彼のオリジナルな着想によって書かれている。

●ブラジル風バッハ第9番

この作品は1945年、58才のときの作品で、このシリーズの最後のものである。はじめ無伴奏の合唱用に歌詞のない“声のオーケストラ”風に書かれたものだが、後にこれを弦楽合奏用に書き直している。

プレリュードとフーガというバッハ風な形で書かれているが、フーガでは8分の11拍子というブラジルの民族音楽に現われる独得なリズムが一貫して流れ、各声部はさらに二部に分けられてかなり複雑な内容を示している。

※村方千之氏の曲目解説の中で、ヴィラ=ロボスの《ブラジル風バッハ第9番》のみ掲載させていただきました。


●ヴィラ=ロボス音楽祭のこと

彼の業績を記念した、ヴィラ=ロボス記念館(Museu Villa-Lobos)がリオ・デ・ジャネイロ市の教育文化省の分室の中に未亡人のアルミンダ夫人を館長として置かれている。そこには彼のすべての作品のリストと原譜、レコードの他に彼の所持していた身廻品から楽器に至るまでが並べられており、ブラジルにおける彼の偉業の大きさを物語っている。

この記念館の主催と教育文化省の後援によって毎年11月にヴィラ=ロボス音楽祭が催されている。1970年の第一回から数えて今年は8回目を迎えることになるが、年ごとに部門をかえてギター部門の年はギター作品を中心に音楽祭が催され、音楽祭の最後を飾って国際コンクールが行われる。このコンクールではヴィラ=ロボスの作品が総て課題曲として課せられ、ブラジルの現代作品も一曲自由曲として取り上げることになっている。こうしたユニークな考え方の根元にあるものは、やはりヴィラ=ロボスの生涯理想の中にあったものではないかと想像されるのである。

1975年の音楽祭は管弦楽作品の部門で、最後に指揮者のコンクールが行われ19ヶ国から29名がこれに参加した。

村方 千之


寄稿文

プログラムノートには以下の皆様の寄稿文が掲載されております。
お名前とタイトルのみご紹介します。

L.C.ヴィニョーレス(駐日ブラジル大使館文化担当官
柴田南雄
(作曲家・評論家)「村方さんとヴィラ=ロボス
井内澄子(ピアニスト)「期待しています
金子 登(指揮者、東京芸術大学教授)「村方千之君へ
山本直純(作曲家・指揮者)「リサイタルに寄せて
伴 有雄(指揮者)「特別演奏会を祝って

編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA