日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

村方千之氏からの手紙⑲(1994.5.8)

村方千之氏からの手紙⑲(1994.5.8)

村方千之氏がプログラムノートに執筆した文章を抜粋し、「村方千之氏からの手紙」というシリーズでご紹介しております。

アルゼンチン・ブラジル現代音楽祭[第3回]
“風薫る五月 休日の午後に憩う ピアノと室内楽のサロンコンサート”
1994 [平成6] 年5月8日 自由学園明日館講堂
主催:日本ヴィラ=ロボス協会

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【チラシから】

POLY FERMAN
ポリー・フェルマン(ピアニスト)

ピアニストのポリー・フェルマン女史は、3年前に駐日アルゼンチン公使夫人として来日、この折に津田ホールに於いて行われた前ウルグアイ大使主催のコンサートで、その暖かく上品な演奏が日本の聴衆に披露され深い印象を与えました。昨年秋、再び今度は大使夫人として来日され、アメリカ大使館主催のコンサートを始め、カザルスホール、東京芸術劇場などのコンサートにも出演され、今では広くその存在が日本の聴衆の間に知られています。

ポリー・フェルマン女史は生まれ故郷のウルグアイで3才の頃からピアノを始め、首都モンテビデオのJ.S.バッハ音楽院でサンディアゴ・バランダ・レジェスに師事、さらにアルゼンチンのブエノスアイレスではセリア・ブロンスティンに師事し、またローマのセシリア音楽院の奨学生として留学、その後にニューヨークに移りJ.シーゲル、W.ダグリアン、E.リストなどの優れた指導者に師事し研鑽を積みました。

彼女は日本、中国、フィリピンなど東洋の各地を始めヨーロッパ、南北アメリカなどにしばしば演奏旅行し、ニューヨークのカーネギーホールを始め各地の代表的なホールで演奏、また世界各地の多くの代表的なオーケストラとも共演しています。なおまた、とくに彼女の音楽活動に於いて注目されることは、彼女のウルグアイのE.ファビーニ、アルゼンチンのA.ヒナステラ、ブラジルのH.ヴィラ=ロボス、E.ナザレ、そしてメキシコのM.ポンセなどを始め多くの主としての中南米の優れた作曲家達の作品の紹介に積極的な意欲を注ぎ、長い間注目される機会のなかった中南米大陸の作品の世界的な普及の仕事に情熱を傾けているというユニークさにあります。そのためにPAMAR (Pan American Musical Art Research,Inc.) 社を設立し、南北アメリカの作曲家や演奏家の紹介、招聘を担うプロモーターとしても熱意を傾けておられます。今回こうして、この日本ヴィラ=ロボス協会企画のコンサートに出演いただくことは、この協会の活動の趣旨にも合致し、大変喜ばしいことです。

GLI ALBERI TRIO
リ・アルベリ トリオ(ピアノ三重奏団)

昨年の3月、このリ・アルベリトリオがヴィラ=ロボスの《ピアノ三重奏曲第3番》の日本初演をされました。この作品はチラシ(表)を拡大するの三つのピアノ三重奏曲のなかでも、最も演奏時間が長く、音楽的にも重厚な内容を持っており、一般に難解難曲の一つとされています。このような作品に取り組まれたこのグループの音楽に対する積極的な情熱に、私は大変深い共感を感じますと共に、この努力がもし一回で終わる様なことになることは大変残念であり勿体ないと思い、是非機会を得て日本ヴィラ=ロボス協会のコンサートに出演をお願いしたいと考え、今回実現する運びとなったのであります。

幻想味豊かで息の長い、あまかも大河アマゾンの悠然たる流れを思わせるこの作品をゆっくりと楽しんで頂きたいと思います。

日本ヴィラ=ロボス協会々長
村方 千之


【プログラムノートから】

ヴィラ=ロボスと室内楽作品

思うままに、また湧き出るままに曲を書いたヴィラ=ロボスは、音楽のあらゆる分野に2000曲近くもの作品を残している。ヴィラ=ロボスならではの躍動するリズム感、生命力溢れる豊かな叙情は、自由奔放に生きた彼の人間性を彷彿とさせ、作品の魅力ともなっている。だがその奔放さが一方では構成力を欠くと言う弱点ともなり、交響曲やこれに類する大がかりな作品には纏まりを欠いた放漫な曲が多く、その弱点が演奏される機会を妨げている場合も少なくない。半面、短くまとめ上げられた作品の多い例えばギター曲、ピアノ曲、歌曲、室内楽曲等には、彼の優れた感性と即興性に支えられた完成度の高い作品が多く、とくに室内楽曲では他の作曲家には見られない彼ならではの自由な楽器編成や、伝統に囚われない独自の和声法が活かされ魅力となっている。室内楽作品には二重奏8曲、三重奏7曲、四重奏21曲、五重奏4曲、その他の形態によるものが16曲、全部で56曲の作品がある。

7曲の三重奏曲の中にピアノトリオ(ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)が3曲ある。いずれも20代から30代にかけ書いたもので、第3番は1918年31才の時に書かれた。創作意欲が旺盛であったこの時期には既に他に2曲のヴァイオリンソナタとチェロソナタ、4曲の弦楽四重奏曲、2曲の交響曲、3曲の交響詩、チェロ協奏曲などの代表的な作品が次々に生み出されている。作曲法を全く独学と経験で習得していった彼の作品の斬新さは、残念ながら当時の保守的な音楽家や聴衆に理解できるものではなく、時には演奏拒否に出会うこともあった。今回演奏される《ピアノトリオ第3番》は、悠然と流れるアマゾンの大河を思わせる雄大さと幻想味に満ちた作品で、チェロの主題が全体の流れを支配する第1楽章、幻想的なサウダーデ(郷愁)に彼のエレジーを感じる第2楽章、躍動的なリズムの第3楽章、循環する主要主題が再現されダイナミックに完結をむかえる第4楽章からなっている。彼の初期の傑作の一つである。

プログラムの後半、ピアノ独奏の部で弾かれる《ショーロ》はヴィラ=ロボスのギター作品の傑作の一つである《ショーロ第1番》をピアノ曲に編曲したもの。次いで演奏される《悲しみのワルツ》は45才の時に書いたピアノの小品で、ヴィラ=ロボスの叙情が心にしみる、これも演奏されることの多い傑作の一つである。

ナザレとピアソラ、ヒナステラ

エルネスト・ナザレは1863年にリオ・デ・ジャネイロで生れ育ち、幼い頃に母からピアノを習い、生涯に約220曲のクラシック風サロン音楽を残した。晩年リオの有名な映画館オデオンの音楽サロンでベートーベンやショパンを弾く外に自作のポルカ、タンゴ、ワルツ等を披露し、下町の音楽であったショーロをクラシック風に編曲し、上流階級の人々にも親しまれる様にした。ヴィラ=ロボスは「ナザレこそブラジルの魂を真に具現する音楽家だ」と尊敬していたと言う。《打ち明け》《香しき木犀の花》《ならず者》

アストル・ピアソラ(1921~1992)はアルゼンチンのマル・デル・プラタに生れ、幼児期にニューヨークで音楽を習い始め、とくにバンドネオンに愛着を抱きこの楽器の知識と演奏法を習得し、14才で帰国。A.ルービンシュタインは度重なる訪亜の際、当時まだ青年だったピアソラの作品に目を留め、ヒナステラに作曲法を師事する事を勧めた。ピアソラはその後パリでブランジェにも師事。形式的かつ古典的だった当時のタンゴを現代的なものに改革、魅力的なものにし、アルゼンチン・タンゴ復興の父と言われる。彼はタンゴとフーガ、タンゴとジャズ等を組み合わせ、より色彩豊かなものにし普遍的な美しさを与えた。《さらば!ノニーノよ

アルベルト・ヒナステラ(1916~1983)はブエノスアイレスに生れ。早くから音楽の勉強を始め、22才の時にブエノスアイレスの音楽学校のディプロマを習得した。18才の時の処女作(民族調の主題でリズミカルなバレエ曲“バナンビ”)から最後の作品まで、アルゼンチンの民族音楽をベースに現代風な編曲を加え、独自のスタイルを持ちながら、普遍的な作品を多数残している。《アルゼンチン舞曲》より

(村方 千之)

編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA