日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

2009.11.15 ヴィラ=ロボス没後50年記念特別コンサート

曲目について

ショーロス第5番  “ブラジルの魂” (1925)
Choros No.5 “Alma Brasileira”

10代の頃から既にギターの名手だったヴィラ=ロボスは、<ショーロ*>のグループに参加し、夜のリオの下町で仲間と即興演奏を楽しんでいた。この時の経験をもとに書かれたこのシリーズ(16曲)のほとんどは、パリ滞在時(1920~28)に作曲された。この曲には遠く離れた母国への郷愁(サウダーヂ)が強く感じられる。“ブラジルの魂(alma)”という副題が示す通り、テーマはヨーロッパ風、根底に流れるリズムはアフリカ風、そして中間部はインディオ風…と、3つの民族の魂が込められている。大小多種多様な編成があるこのシリーズ中で、唯一のピアノ独奏曲である。

*ショーロとはブラジルの大衆音楽の一つで、管楽器(フルート、サックス他)、弦楽器(ギター他)、打楽器を持ち寄って即興演奏を楽しむ音楽スタイル。


花の組曲 (1916~1918)
Suite Floral

 この組曲が作られた30歳前後、フランスの作曲家D.ミヨーとピアニストのA.ルービンシュタインとの出会いが、ヴィラ=ロボスの音楽思想の面で大きな影響を与えた。また、ピアニストの妻ルシーリアと結婚し、ピアノ作品を書く上で有益な協力関係を得られるようになった。1、2曲目はフランス印象主義の影響が強く感じられるとても美しい曲である。唯一ブラジルの香りがするのは3曲目の≪菜園のお祭騒ぎ≫で、この組曲は彼の作曲活動面での協力を惜しまなかったA.ルービンシュタインにより初演された。

●ハンモックに揺られて (1917)
Idílio na rede
● いなか娘の歌(1916)
Uma camponesa cantadeira
● 菜園のお祭騒ぎ(1918)
Alegria na horta


苦悩のワルツ(1932)
Valsa da dor

 作曲家として円熟期を迎えた45歳のヴィラ=ロボスの作品にしては、内容も分かりやすく、ロマンチックで感傷的で、もっと若い頃に作られた作品であるかのように思えてくる。作曲家本人がこの作品を気に入っていなかったという話が残っているが、その理由を見つけるのは困難で、多くの人にとって魅力的な作品であることにはまちがいはない。


ブラジル風連作/シクロ・ブラジレイロ(1936)
Ciclo Brasileiro

<ブラジル風>という名の通り、民族的な要素を前面に出しているこの連作は、ピアノ作品としても完成度が高く、ヴィラ=ロボスらしさを象徴している作品である。同じ頃に≪ブラジル風バッハ≫のシリーズも書かれており、仕事面で最も充実した時期であった。またこの曲が書かれた年にアルミンダと再婚し、人生でも幸せな時を迎えていた。四つの個性的な曲からなり、個別に演奏されることが多い。

● No.2 セレナード歌いの印象(1936)
Impressões Seresteiras

“セレステイラスSeresteiras”とは夜のリオの町に流れる“セレスタ(セレナーデ)奏者”のこと。彼がまだ若い頃にギターを片手に彼らに加わった想い出が込められていると言われ、感傷的なブラジル風ワルツである。

● No.3 奥地の祭り(1936)
Festa no Sertão

ブラジルの奥地…広大な原野や森が連なる地域を“セルタン”と呼んでいる。若い頃ブラジルの奥地への調査団に同行し、インディオの音楽に触れたことがこの曲の源になっている。


モヂーニャとカンソン
Modinha e Canções

“モヂーニャ”とは、18世紀にブラジルにあらわれた叙情歌曲で、ヴィオラ(ギター)を弾きながら、民衆的な詩を自作自演で歌唱するものであった。“カンソン”とは一般的な歌を意味する。ヴィラ=ロボス自身が集めたモヂーニャの数々にピアノや管弦楽の伴奏を付けて歌曲の形にしたものが、この≪モヂーニャとカンソン≫集である。それぞれに時代、場所、内容の違った背景を持ち、モヂーニャのほか、わらべ歌、子守歌などが収められている。≪第1集≫[1933-43]は全7曲。≪第2集≫[1943]は全6曲からなる。
本日演奏される中の2曲目≪マンダ・チロ・チロ・ラ≫以外は全て≪第1集≫から歌われる。

Ⅰ.サンフランシスコ河の船頭 (1941)
Remeiro de São Francisco
バイーア州(ブラジル北東部の熱帯地方)のサンフランシスコ河を往来する、メスチーソ(混血民)の船頭歌。

Ⅱ.マンダ・チロ・チロ・ラ(1943)
Manda tiro, tiro lá
「マンダ・チロ・チロ・ラ」は“囃子言葉”。

Ⅲ.茶色の仔猫 (1937)
A Gatinha Parda
伝承の童謡。

Ⅳ.カンチレーナ:小唄(1938)
Cantilena
バイーア湾付近の黒人たちの民謡。

Ⅴ.サントス公爵夫人のルンドゥ (1940)
Lundú da Marquesa de Santos
このサントス侯爵夫人(愛称:ティティーリア)は実在の人物で、ブラジル帝国が成立後(1822)に即位した、ペドロ1世の愛人。“ルンドゥ”は18世紀に起源を持つブラジルの古い踊り歌。

Ⅵ.追慕 (1933)
Evocação
哀愁と情熱に満ちたセレナーデ。


セレスタス(1926~1943)
Serestas

 ≪セレスタス≫はヴィラ=ロボスが若い頃に旅して集めたブラジルの詩をもとに書かれている。作詞者も献呈先も曲によって違うことから、最初から意図的に組曲として作られたのではなく、作曲後に<ブラジル風セレナーデ名曲選>としてまとめられたものと想像される。全14曲のうち、12曲は1925~26年にパリで作曲され、宗教曲も含めると200曲以上もあるといわれる彼の歌曲のうち、この一連の詩情あふれる曲集は人気曲の一つとしてあげることができる。今日はその中で、下記の6曲が歌われる。

Ⅰ.秋は静けさの中に (1926)
No.6 Na paz do Outono
Ⅱ.四月
(1926)
No.9 Abril
Ⅲ.欲望
(1926)
No.10 Desejo
Ⅳ.回転
(1926)
No.11 Redondilha
Ⅴ.セレナーデ
(1943)
No.13 Serenata
Ⅵ.飛行
(1943)
No.14 Vôo


ブラジル風バッハ
“バッキアーナスブラジレイラス

Bachianas Brasileiras

多種多様で非常にユニークな演奏編成が登場する≪ブラジル風バッハ≫の目的は、それ以前に作られた連作≪ショーロス≫のようにブラジルの民族音楽の可能性を示すことではなく、彼にとって最も偉大な“バッハ”への憧れと、自分の音楽を結び付けることにあった。彼は各曲に二つの題名<バロック時代の形式名>と<ブラジルらしいタイトル>を付け、<バッハ風>と<ブラジル風>の二つの要素を巧みに織り交ぜている。パリ遊学から帰国した1930年から約15年間(43~58歳)に、全部で9曲作られた。

ブラジル風バッハ第5番 (1938/45)
≪第5番≫はソプラノ独唱と、≪第1番≫でも使われたチェロ合奏の伴奏という珍しい形をとっている。第1楽章(1938)が“バッハ風”の アリアで、第2楽章(1945)が“ブラジル風”のカンソン(歌)である。第1楽章の美しい<アリア>が彼の名をブラジルの国宝級にしたといってもよい。第2楽章の<マルテロ(槌のひびき)>は、同音反復の多い曲調からつけられたもので、「ブラジル北西部の鳥の歌鳴き声から主旋律を作ろうと試みた」と作曲家自身が話したという。

Ⅰ. アリア/カンチレーナ
Aria (Cantilena)
Ⅱ. 踊り/マルテロ(槌のひびき)
Dança (Martelo)


ブラジル風バッハ第1番 (1930)
チェロをこよなく愛したヴィラ=ロボスは、この連作のトップバッターとしてチェロを選んだ。チェロ合奏(8本または12本、16本)という他の作曲家にはないユニークな発想と、“バッハ風”である以上に“ブラジルらしい”雰囲気をもつために、このシリーズでの人気1、2位を争う存在である。
第1楽章の副題“エンボラーダ”とは「絡み合い・取っ組み合い」、第2楽章の副題の“モヂーニャ”は「叙情歌」、/第3楽章の副題“コンヴェルサ”とは「対話」という意味。

Ⅰ. 序奏/エンボラーダ
Introdução (Embolada)
Ⅱ. プレリュード/モヂーニャ
Prelúdio (Modinha)
Ⅲ. フーガ/コンヴェルサ
Fuga (Conversa)

市村由布子
Yuko Ichimura


ヴィラ=ロボスからの手紙「感謝状」

「ブラジルに行ってみたかっただけだよ」ーー
村方先生はにこにこしながらいつもそう話される。今から34年前、先生50歳の時、リオ・デ・ジャネイロで開かれたヴィラ=ロボス国際指揮者コンクールに参加し、特別賞を受賞された。

翌1976年の「受賞記念演奏会」では、コンクールの課題曲≪ブラジル風バッハ第9番≫を日本初演。生誕100年(1987)には記念演奏会が一年に5回も開かれ、日本ヴィラ=ロボス協会も設立された。それから約30年間…国内だけでも26回の演奏会を主催。数え間違えていなければ、今回は27回目の演奏会である。

日本で初演されたヴィラ=ロボスの作品の数の多さ、演奏に関わった立派な顔ぶれにも驚かされる。ブラジルの優れた演奏家も数多く日本に招聘された。また、先生が濱田滋郎氏と共に解説を書かれた演奏会のプログラムは、日本語による解説が少ない中で、全てが貴重な資料となっている。協会誌として『ショーロス』を約10年かけて12号発行されるなど、指揮のみならず、先生は執筆業でも才能を発揮され、音楽雑誌にも論文並みの記事を多数投稿された。先生のお手元には楽譜もたくさんある。問い合わせがあると、貴重な楽譜・資料・音源を快く貸し与え、またヴィラ=ロボスについて自ら熱く語ってこられた。

あさって、11月17日はヴィラ=ロボスの50回目の命日にあたる。この道35年、「日本でヴィラ=ロボスの音楽を普及させたい」と、啓蒙活動を地道に続けてこられた先生に、天国にいるヴィラ=ロボスは今、「感謝状」をせっせと書いているに違いない。そして、今までヴィラ=ロボスの音楽を聴き、たくさんの感動を与えてもらった私達もまた、先生に感謝の手紙を書かなければならないだろう。

市村由布子
Yuko Ichimura