日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

村方千之氏からの手紙③(1979.12.28)

村方千之氏からの手紙③

村方千之氏がプログラムノートに執筆した文章を抜粋し、「村方千之からの手紙」というシリーズでご紹介しております。

オーケストラとギターによる
「ヴィラ=ロボス歿後20年記念特別コンサート」
1979[昭和54]年12月28日、一ツ橋日本教育会館ホール

主催:ブラジル大使館
後援:ブラジル銀行、サンパウロ州立銀行、ロイドブラジレイロ極東代表部、ブラジル国立製鉄会社、ブロッタライン、ブラジルコーヒー院、ウジミナス製鉄東京事務所、
ヴァリグ・ブラジル航空

チラシを拡大する


ヴィラ=ロボスと私

村方 千之

私がヴィラ=ロボスのことをはじめて知ったのは30年前のことである。昭和24年頃と云えば戦後の混乱がようやく落着きはじめ少しづつアメリカやヨーロッパの音楽情報が伝わってくる様になった頃である。芸大に入ったばかりの私は作曲を勉強している一部の仲間達の間で、しばしばヴィラ=ロボスのことが話題になることに興味をもったのであった。民俗的な色彩の強い野性的でスケールの大きな音楽であるという点が、とくに若かったわれわれに魅力を感じさせたのであったが、残念なことにその音を聞くことも楽譜を手にとって見ることも出来ず、人の持っていた一冊のスコアを傍でかいま見ただけであった。その後時代の移りかわりは激しく、ヨーロッパやアメリカから生の音楽が頻繁に伝わりはじめるにつれていつかヴィラ=ロボスへの関心も薄れ、思い出すこともなく25年が過ぎたのであった。

ところがその私に1975年のはじめヴィラ=ロボス国際指揮コンクール開催の記事が目にとまり、すっかり忘れていた彼への興味が再び呼び覚まされ、私は早速手に入る限りの楽譜をオーダーし、コンクール参加の準備にかかったのである。

憧れのリオ・デ・ジャネイロに着き、アルミンダ・ヴィラ=ロボス未亡人にお会いした時の感動は忘れることが出来ない。夫人は7年前来日したこともあり大の日本ファンであり、日本人のこのコンクールへの初参加を大変喜んでくれたのであった。

リオの中心地区にある旧文部省の建物の中にこの偉大な作曲家を永久に記念するヴィラ=ロボス博物館がある。アルミンダ未亡人を館長とするこの博物館には彼の膨大な数の作品の原譜と、彼の指揮や演奏によって録音されたレコード、ピアノをはじめとする数々の遺品が保存されている。分厚い大形のサイン帳が数冊、ここを訪問して来た人達のヴィラ=ロボスへの関心の深さを示していたが、その中にかつてN響が南米演奏会旅行の折に立ちよったときの数人のメンバーのサインが目を引いた。ブラジルの人達、とくにリオの人達にとってヴィラ=ロボスは大きな意味をもっている。この国の民族的な音楽への関心を高め、ブラジルの音楽文化を広く世界的なものにした功績ばかりでなく、音楽教育の分野でもこの国の音楽的水準を高めるために貢献した数々の彼の偉業への敬愛の念は、例えば日本に於ける滝廉太郎や山田耕筰以上に、もっと身近な親しみと尊敬の念をこめてヴィラ=ロボスの名を呼ぶのである。

彼は名をエイトール(Heitor)と云い1887年、リオ・デ・ジャネイロに生れ、1959年に72才でその生涯をとじた。作曲家としてばかりではなく指揮者として、教育家として、巾広く祖国の音楽文化確立と向上のために精力的に活躍し、数々の業績を残したが、その旺盛な創作活動により生れた作品は、実に1300曲余りにものぼっている。

伝統ある名家に生まれ、熱心なアマチュア音楽家であった父とピアニストの叔母をもつ彼は、子どものころからチェロ、ギター、クラリネットなどに優れた才能を示したと伝えられている。11才のときに父を失い、ギターひとつを抱えて家を出、町の放浪劇団に入ったが、この間、楽器や作曲に関する様々な知識を得、敬愛するバッハをはじめ好きな作品を熟読・研究することで、独学で作曲法を学んだ。その後、25才でブラジル奥地の科学調査団に同行し、民族音楽研究に着手。また、フランスのダリウス・ミヨーの影響で近代フランス印象派に強い関心を抱き、4年間、パリに遊学。自作を発表して認められ、さらに広くヨーロッパやアメリカをまわりその特異な天才ぶりを発揮して注目をあびた。

帰国後、リオ・デ・ジャネイロ市の音楽視察官として、遅れていた音楽教育の改革にのり出し、また一方、各地にオーケストラを創設し、バッハをはじめ多くの作品の初演を手がけるなど、精力的な活動は、生涯、休みなく続けられた。彼は殆んどあらゆる楽器を弾きこなしたと伝えられているが、その創作分野があらゆる面にわたっているのも、そうした巾広い天賦の才能によるものと考えられる。

わが国でのヴィラ=ロボスの評価は残念ながら現在では決して恵まれたものではない。ただ、クラシックギターの分野では彼のギター作品に対する評価が高く、広く親しまれているのは喜ばしいことである。彼の作品の魅力は何といっても作品に表われてくるインスピレーションのすばらしさにある。自由奔放な創造性やバイタリティーに溢れた作風を通して彼の音楽は、聴く人達の心に遠慮なく飛び込んでくる力強さがある半面、奔放さのために曲の構成力の面ではまとまりのない弱点を見せるところもある。ただ彼の作品には計算された様な精緻さはないが、心の奥底からこみ上げて来る様な愛情と包容力に満たされた人間的さけびがあって、無限に人の心を捕らえるところがあるのだ。

私はそうしたヴィラ=ロボスの魅力を少しづつわが国にも紹介する機会をもちたいと常々願っている一人であるが、今日、彼の歿後20年の記念にその場を得たことについて、関係して下さった方々に心から感謝をしたいのである。


曲目解説

※ギター曲の解説はこの日のギタリストである中村博氏が執筆


ブラジル風バッハ(Bachianas Brasileiras)

「ブラジル風バッハ」と訳されているこの作品のシリーズは9曲あって、「ショーロス」と呼ばれている、同様のシリーズで書かれた13曲のブラジル風のセレナードと共に、ヴィラ=ロボスが最も力を入れて練り上げた彼の代表的な作品である。

彼はピアニストであった叔母からの感化もあってはやくからバッハに深く傾倒し、終生創作上の大きな影響を受け、バッハについて彼は「その作品はすべての種族をつなぐきづなであり、世界中の民族音楽の心の奥深く根ざす共通の言葉をもつものである」と云っていた。そうしたバッハの作風と精神とをブラジルの音楽と融合させたいと願った彼の意図が、この≪ブラジル風バッハ≫の創作という形で達成されたものと思われる。

1930年つまり43才のときにチェロのみの8重奏というユニークな形でこのシリーズの第1番が書かれているが、彼は常に自分でなくては書けない音楽創造の世界を生涯求めていた人で、このブラジル風バッハの創作にあたってもその願いが強く反映されていることが感じられる。

9曲は1945年までの15年間に書かれ、その形式や楽器編成も独奏曲から室内楽、管弦楽に至るまで様々であり内容を異にしているが、いずれもブラジルの民族音楽をもとにした彼のオリジナルな着想によって書かれている。

参考までに9曲の作曲年代と楽器編成をあげてみると、≪第1番≫(1930)- 8本のチェロ合奏、≪第2番≫(1930年)- 管弦楽、≪第3番≫(1938年)- ピアノと管弦楽、≪第4番≫(1941年)- ピアノに書かれた後に管弦楽、≪第5番≫(1938~45)― ソプラノと8台のチェロ、≪第6番≫(1938年)- フルートとバスーン、≪第7番≫(1942年)- 管弦楽、≪第8番≫(1944年)- 管弦楽、≪第9番≫(1945年)- 合唱又は弦楽合奏、という様になっている。

今日このプログラムの中ではじめて演奏される≪第9番≫は、彼の58才のときの作品で、リオ・デ・ジャネイロで初演されている。はじめ無伴奏の歌詞のない“声のオーケストラ”風に書かれ、後に弦楽合奏に書きかえられた。いかにも教会のオルガンの響きを思わせる効果をもっているが、神秘的にと記された前奏部に続いてフーガに入ると8分の11拍子というブラジルの民族音楽独特なリズムが一貫して流れ、リズムの複雑さは高度な合奏技術を要求している。

≪第2番≫は、≪第1番≫と並んで発表され、イタリアのベニスで初演された。サックスやピアノ、民族打楽器を加えた1管編成の小オーケストラ用に書かれているが、その豊かな色彩感と響きは、まさに彼の見事な管弦楽法の魔術であるという他はない。曲はバッハの組曲風に4つの曲からできているが、いずれもブラジル民族音楽から素材を得ており、第1楽章の“カパドシオ”とはリオの下町の無頼な伊達者のことで、この楽章では彼らが体をゆすりながら町をねり歩いている風情を表している。第2、第3楽章では黒人たちの間に伝わる密教の踊りの情景を思わせる部分があり、第4楽章はブラジルの奥地を走る小さな汽車をユーモラスにまた郷愁をもって見事に描写している。

小交響曲(Sinfonietta)

彼は2曲の≪小交響曲≫を書いており、第1番はモーツァルトの思い出という副題のもとに29才のときに書いた習作だが、ここで紹介する≪第2番≫は60才のときにローマのアカデミア・フィルハーモニカ・ロマーナの依嘱で書かれたもので、翌年彼の指揮によってローマで初演されている。これもサックスやハープなどの他、コール・アングレやバスクラリネットなどを持ち替えで使用し、チューバも加わったやや変則な1管編成で書かれているが、かなり大胆な和声的試みと巧みな管弦楽法の技術の駆使によって、ヨーロッパ的現代感覚をのぞかせる洗練された作品となっている。その点彼の多くの作品の中では特異な位置にあるといえるだろう。

(村方 千之)

このプログラムノートには、このコンサートの開催にあたり、
ロナルド・コスタ駐日ブラジル大使、アルミンダ・ヴィラ=ロボス夫人からのメッセージも寄せられております。


編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA