日本におけるヴィラ=ロボス研究の先駆者、村方千之氏の文章を公開

村方千之氏からの手紙⑫(1989.10.28)

村方千之氏からの手紙⑫(1989.10.28)

村方千之氏がプログラムノートに執筆した文章を抜粋し、「村方千之からの手紙」というシリーズでご紹介しております。

ヴィラ=ロボス 没後30年記念特別演奏会
“歌曲、ピアノ、ギター、チェロオーケストラの夕べ”
1989 [平成元] 年10月28日中央区立中央会館
主催 日本ブラジル中央協会、日本ヴィラ=ロボス協会
後援 ブラジル大使館、国際交流基金
協賛 (株)河合楽器製作所、上島珈琲株式会社、ヴァリグ・ブラジル航空

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【チラシから】

ブラジル声楽界の女王マリア・ルシア・ゴドイの名は、残念ながら今までに日本では知られる機会がなかった。しかしその名を飾った1965年のストコフスキー指揮ニューヨークフィル共演によるカーネギーホールでの国際的デビュー以来、名実ともにブラジルを代表する世界的な歌手として南北アメリカを初めヨーロッパでは広く知られた存在である。フィラデルフィア交響楽団を初めアメリカ、ヨーロッパの代表的な交響楽団との数々の共演がその輝かしい経歴を示しているが、87年のヴィラ=ロボス生誕100年にはフランス政府とユネスコの招きでパリを訪れ“国際ヴィラ=ロボス年”の初日を輝かしく飾った。オペラから自国の民謡に至る幅広いレパートリーの中でも、ヴィラ=ロボスの歌曲では右に出るものはいない。思想家、文化人としても幅広く活躍し第十字勲章を授与されている。“ブラジル最高の美声”を日本で聴ける期待と意義は大きい。

ブラジルの魂を奏でるミゲル・プロエンサは1985年と87年の二度の来日で既にわが国のファンにはお馴染みの存在となった。目下ブラジルの代表的なピアニストとしてヨーロッパでも広く活躍しているが、幅広いダイナミズムと絶妙に美しい繊細な音色を駆使しての独特な魅惑的なピアノ演奏は、聴くものの魂を揺さぶり魅了する。敬愛するヴィラ=ロボスへの造詣の深さと、演奏に示される豊かな詩情にはブラジル人ならではの深い共感が溢れ、感動が伝わってくる。ヴィラ=ロボス音楽院々長を初め数々の要職を勤め、今は再び演奏活動に復帰し年頭からヨーロッパ各地を巡演中であるが、この秋の日本での演奏が待ち遠しいと心境を伝えてきた。三度目の来日に大きな期待が寄せられている。

(日本ヴィラ=ロボス協会々長 村方千之)


【プログラムノートから】

歿後30年を迎えて

思えば丁度10年前、1979年の暮れも押し迫った12月28日の夜、ブラジル大使館主催、私の企画による「歿後20年記念特別演奏会」が行われ、日本で初めてヴィラ=ロボスのオーケストラ作品が鳴り響き、聴きに来られたヴィラ=ロボスファンに大きな反響をよびました。この感動の様子を書かれた詩人清岡卓行氏のエッセイは翌年1月の東京新聞文化欄に披露され多くの人々の目に止まったのでしたが、この出来ごとは私のヴィラ=ロボスへの思いに大きな影響を及ぼし、以後日本でのヴィラ=ロボスの啓蒙と普及活動は私自身の大きな仕事となったのでした。

その後続けて行われた80年、82年の二回の「ヴィラ=ロボスの作品を聴く会」では、さらに歌曲や室内楽、合唱曲等の代表的な作品が初演され、それまでには殆ど知る人もなかったヴィラ=ロボスへの認識や関心は僅かながら、この頃からようやく一般に広がるきっかけが出来始めたのです。次いで一昨年87年には世界的な呼びかけに呼応した生誕100年の記念演奏会が5回に亘って実現され、また楽譜が日本で出版されるようになるなどに至って、この作曲家に対するわが国の一般的関心は益々深まり、広がり始めたのです。

あれから10年、様々な出来事、苦労、出会い、交流があり今日、ヴィラ=ロボス歿後30年記念の演奏会を持つことができるのは大きな喜びです。今回は特にブラジルを代表する二人の世界的演奏家を国際交流基金のご援助をえてお迎えすることが出来たことは、私共の協会にとりまして、またヴィラ=ロボファンにとりましても意義深いことです。

日本とブラジルの長い関係のなかで、残念ながらこの国の優れた芸術文化面での交流、理解には大きな立ち遅れのあることが認識されます。これからは是非多くの機会をもうけて積極的な交流の実現をして参りたいと願って止みません。

今夜は最後までごゆっくりとヴィラ=ロボスをお楽しみ下さい。

1989年10月
日本ヴィラ=ロボス協会会長
村方 千之
Presidente CHIYUKI MURAKATA


※濱田滋郎氏(音楽評論家)が曲目解説を執筆


アルミンダ夫人の語ったヴィラ=ロボスの逸話から

ヴィラ=ロボスは1913年に最初の妻ルシリアと結婚、1936年に離別。その後25歳離れていた教え子であった最愛のアルミンダさんと結ばれました。既に50歳になろうとしていたヴィラ=ロボスにとって若く美しく聡明であったアルミンダ夫人がいかに彼自身にとって大きな支えであったかは申すまでもありません。そのアルミンダ夫人はヴィラ=ロボスが1959年に歿して以来26年間ヴィラ=ロボス記念館の館長として、夫の偉業、遺産を守り続け、1987年のヴィラ=ロボス生誕100年記念を目前にして85年の8月に73歳で急逝されたのでした。

私は75年のヴィラ=ロボス・コンクールのときにリオ・デ・ジャネイロで初めて彼女にお会いして以来ちょうど10年間のお付き合いでしたが、その温かい人柄は今でも忘れることは出来ません。亡くなられる一ヶ月前の7月に私は彼女に手紙を差し上げたばかりで、“1987年の生誕100年記念にはぜひ貴女を日本にお呼びしたい”と書いた私の手紙に対して“生誕100年記念の行事のことを東京ではもう話をしている人がいるのは驚きだ。残念なことだがブラジルの現状では3年先のことはとても見当もつかない。でもとても嬉しいことで、日本に行けるものだったら是非行ってみたい。”と返事をよこされたのでしたが、今はお二人揃って、今日の記念コンサートを天国から見守っておられるに違いないと思っています。

ここに挙げた幾つかの逸話は10年前の歿後20年記念の時のリオ・デ・ジャネイロの新聞に書かれていた彼女の回想の中から選んだものです。

最大の倖(さいわい)

「美貌で、上品で、教育のある女房に恵まれることこそ、芸術家にとっては“最大の倖”である。この我身こそ、その標本である。・・・・・・1946年、ヴィラ=ロボス」と書きなぐった一枚の紙片が、机の片隅に乗っかっていました。この紙片こそ、私にとって何ものにも代え難い宝なのです。と、アルミンダ・ヴィラ=ロボス夫人は述懷する。「彼はまた、新しい曲が出来上がるとき、最初の一行に“MINDINHA(ミンジーニャ)へ”という献辞を書いてくれました。これを思い出すごとに胸が一杯になるのです。

歿後20年記念の催し

「手が回らなくて大弱りです」と、記念音楽会一覧表を目の前にしながら夫人は思案投げ首。「アメリカでは、二月このかたいろいろな記念コンサートが各所で開かれています。ごく最近では9月29日にケネディー・ホールで、アンナ・ステラ・シック出演の音楽会があり、これは北米六大都市で巡回上演中です。フランスでは“リオの男、ヴィラ=ロボス”と題した番組が、一週間に亘り全国的にテレビで連続放映され、さらに「音楽家ヴィラ=ロボスの人柄と作品」と題して一時間のテレビ放映もされました。……ドイツではいまヴィラ=ロボスと主題する映画が上映されており、この映画は近々リオでも上映される予定なのです。また、スペイン、メキシコ、イタリア、コロンビア、エクアドルそして日本でも、それぞれ記念音楽祭が進行中なのです。」と語った。

頑固一徹

「あの人は好きなように自分の人生を送りました。稼ぐのも大きかったけれど、金遣いも荒いもので、自分の食卓に友人を沢山侍(はべ)らせるのが何よりの喜びでした。この贅沢趣味は海外旅行中にも遺憾なく発揮され、その豪遊振りにはアメリカ人もフランス人も舌を巻いたようです。人様を招待するのが大好きな癖に、返礼の招待には余程の場合でなくては、お受けしませんでした。……アメリカでの生活では、アメリカ食の大嫌いな彼のために私はしばしばブラジル料理を特別に作らされたものです。当時の駐米ブラジル大使のバスコン・セーロス夫人は彼のために毎土曜日には大鍋一杯のフェジョワーダ(ブラジル郷土料理)を持ち込んでくださり、私はその添え物の料理を作ったりして、時としては深夜に及ぶオシャベリに時を送りましたが、彼は片隅で私達のオシャベリを書き綴るのが楽しみだったようです。ただ、私が用事があって食事を作れないとアイスクリームと牛乳だけで日を過ごすようなところがあって人間的にはまるで子供っぽい人でしたが、音楽家としては反対に何でもきびきびとやってのける頑固一徹な個性の強い人でありました。」

ダンスに燃やした情熱

「彼の作品の中には、ブラジルでは知られていないものが沢山あります。特にダンスについて燃やしていた彼の情熱もそうです。例えば≪ショーロス第12番≫も僅かにニューヨーク、ボストン、リェージュで演奏されただけの様です。……≪ゼネアス≫ は黒人ダンサー、ジャネス・コリンズの為に作曲したもので、“太陽の踊り子”の為のオーケストラの交響詩です。ただこの曲の作曲にあたって、この黒人ダンサーが果たして作曲に値する者かどうかを見てくれる様に、彼が頼みますので一緒に行きました。ダンサーは私達の面前で黒いスカートをはき音楽なしに、素敵な踊りを披露してくれましたときに、彼女が非常に優れたダンサーであることを発見し、そのときの情熱が作品となったのです。

有名な舞台演出家ジョゼ・リモン氏も、しばしば彼に作曲を依頼し、ヴィラ=ロボスの作品を自分の演劇に利用しました。ある時、ピアノ曲の≪ルデ・ポエマ≫をリモンに演奏して聴かせたところ、リモンは感激のあまり涙を流した程でした。彼の作品をダンスへの開発に利用したのは正しくこのリモンが最初なのです。舞踊組曲の≪ルダー≫や≪マンドゥ・サララ≫なども、このリモンの要請で書いたものなのです。


◆このプログラムノートには、下記の寄稿文が掲載されております。

田付景一(日本ブラジル中央協会 会長):「ごあいさつ」
カルロスA.B.ブエーノ(駐日ブラジル大使):「メッセージ」
トゥリビオ・サントス(ヴィラ=ロボス記念館長):「メッセージ」
濱田滋郎(音楽評論家)
「ヴィラ=ロボスの生涯」「曲目メモ」「歌詞対訳」「ヴィラ=ロボス略年譜(ヴィラ=ロボス記念館編による)」「ヴィラ=ロボス:主要作品一覧」
平井丈一郎(チェリスト):「ヴィラ=ロボスとの会食」

編集:市村由布子
Editora: YUKO ICHIMURA